
🌟 戦争が終わった!でも平和は訪れたのか?
1914年に始まった第一次世界大戦。ヨーロッパを中心に戦場が広がり、なんと 死者は800万人以上!😨 そんな恐ろしい戦争が、1918年に終結しました。「戦争が終わったなら、これで平和が戻るはず!」と思いたいところですが、そう簡単にはいきませんでした。
💡 今回は、第一次世界大戦の終わりと、その後に結ばれたベルサイユ条約が世界にどんな影響を与えたのかを見ていきましょう!
🛡 ドイツ革命!帝政が崩壊!?
戦争末期、ドイツ国内は混乱の真っただ中。戦争が長引くにつれ、国民の不満が爆発💥!
「このままでは国がダメになる!」と、1918年11月にドイツ革命が起こり、ドイツ皇帝 ヴィルヘルム2世 はオランダに亡命。ドイツ帝国は崩壊し、新しく「ワイマール共和国」が誕生しました。
でも、国のリーダーが変わっても、問題は山積み…。戦争でボロボロになったドイツは、これからどうなるのでしょうか?
✍ ベルサイユ条約!戦勝国の利益優先!?
戦争が終わった後、1919年6月28日にフランスのベルサイユ宮殿で「ベルサイユ条約」 が結ばれました。
この条約、実は ドイツにとっては超厳しい内容 だったんです。
📌 ベルサイユ条約の主な内容 🔥 ✅ ドイツの領土削減! ✅ ドイツの軍隊はほぼ解散! ✅ 莫大な賠償金(約1320億金マルク!) 😱 ✅ 「戦争はドイツのせい!」とされる(=戦争責任条項)
これを見てもわかるように、戦勝国が有利な内容 になっていました。ドイツはこれにサインするしかなかったのですが、この屈辱が後の歴史に大きな影響を与えます…。
🇯🇵 ベルサイユ条約、日本はどう関わった?
この条約には、日本も関わっています。実は日本、第一次世界大戦では 戦勝国側(イギリス・フランスなど) にいました!
日本は「ドイツのアジアの拠点である青島(チンタオ)や南洋諸島を獲得」し、国際的な影響力を強めました。しかし、日本が求めた「人種差別撤廃提案」は認められず…😢。
この時、日本は国際的な発言権を持つチャンスを得たものの、まだまだ欧米の壁は厚かったのです。
このベルサイユ条約、アメリカのウィルソン大統領が提案した「14か条の平和原則」が大きな影響を与えました。
その中でも特に重要だったのが 「民族自決」 という考え方。
👉 「それぞれの民族が、自分たちの国を持ち、自由に生きられるようにしよう!」
この考えが影響し、オーストリア=ハンガリー帝国やオスマン帝国が解体され、多くの国が独立しました。例えば…
✅ ポーランド ✅ チェコスロバキア(今のチェコとスロバキア) ✅ ユーゴスラビア(今のセルビアなど)
ただし、アジアやアフリカの植民地には適用されず…結局、欧米列強の支配は続いたのでした😓。
🏛 国際連盟ができた!…でも?
第一次世界大戦の反省から、世界平和を目指すために「国際連盟」が設立されました!
📍 本部はスイスのジュネーブ 📍 目的は、戦争を防ぎ、世界の平和を守ること!
日本もこの国際連盟に参加しましたが、アメリカは加盟せず… 😲。
「えっ!?ウィルソン大統領が作ったのに!?」と思いますよね。でもアメリカ国内で反対が多く、結局入らなかったのです。
このため、国際連盟は力が弱く、後の歴史の中で第二次世界大戦を防げませんでした…。
さて、1919年ごろの日本はどんな時代だったのでしょう?
📖 大正デモクラシーが進む! 💃 モダン文化が花開く! 🎨 美術や音楽もヨーロッパの影響を受ける!
このころ、日本では大正デモクラシーの動きが広がり、普通選挙を求める声が強まっていました。また、西洋の文化が流れ込み、モダンなファッションや音楽が流行しました。
歴史を学ぶと、当時の人々の生活が身近に感じられますね!
🔍 歴史を学んで未来を考えよう!
第一次世界大戦が終わった後も、世界にはまだまだ不満がくすぶっていました。ベルサイユ条約の厳しい条件は、やがて 第二次世界大戦 につながる要因となります。
歴史を学ぶことで、「なぜこうなったのか?」を知り、未来の社会をどう作るべきか考えるヒント になります。
📚 これからの世界を作るのは、みなさんです!歴史を学び、自分の意見を持つことが大切ですね! ✨