
当ブログをご覧の皆様、こんにちは。WAM秋山校です。
今回は、中学や高校の漢文の授業で必ずと言っていいほど習う文、
「学而時習之」
の話をいたしましょう。
書き下し分では、一般的に「学びてときに之を習う」とします。
ご存知のかたも多いでしょう、これは『論語』という書物に出てくる言葉ですね。
論語という大昔に中国で成立した書物の、学而篇という章に登場します。論語は偉い偉い学者・思想家の
”孔子”
という先生の言行録です。その孔子先生があるとき「学びてときにこれを習う、またよろこばしからずや。」とおっしゃいました。
その現代日本語での意味なのですが、
「習ったことを、ときどき復習することは、なんと喜ばしいことか」
だと思ってらっしゃるかたが(それこそときどき)いらっしゃいます。しかし、厳密にはちょっと違うんですね。
厳密には、
「習ったことを、適切な時に(あるいは”適切なタイミングで”、”ふさわしい機会に”)復習することは、なんと喜ばしいことか」
という意味なんです。
ちょっとニュアンスが違いますよね。
普段の勉強の話にすると、例えば初めて暗記した英単語を、気が向いたときに再度覚えなおすのではなく、「必ず4日後に復習する、なぜなら4日後がいちばん忘れやすいタイミングだから」というようなものでしょうか。(英単語の適切な復習タイミングについては、もちろん様々な意見や考え方がありますけれど。例えばの話です。)
日々勉強中の皆さんも、「復習」のタイミングをしっかり決めてルーティンを作れば効果的でしょうし、学習習慣も身につくことでしょう。
なお、孔子の上記の言葉について「学ぶ」というのは、数学や社会とかの学習の話ではなく、”礼”を学ぶことでした。”礼”がなにか、というのはまたちょっと難しい話なので別の機会に。
余談、、、
「孔子」という人名は、いまは「コーシ」と読むことが定着してると言っていいでしょう。
でもじつは、かつては「クジ」とも読まれておりました。有名なところでは『枕草子』にも孔子を指して「くじ」と出てきます。
いまでも、「孔子の倒れ」は「クジノタオレ」と読みますよね!(意味は、「猿も木から落ちる」「弘法にも筆の誤り」「河童の川流れ」等と似たようなものです)
次回は、「1月」はなぜ英語で「january」なのか、というお話の予定です。
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