教室ブログ

2025.01.13

市川房江は何をした人!

今回は、日本の歴史において特に重要な役割を果たした女性、市川房江について深掘りしていきます!🌟彼女の物語を知れば、みなさんも自分の目標に向けた努力にもっと熱意を持てるはずです!

🟩 市川房江とは何をした人?

市川房江(いちかわ ふさえ)は、女性の権利を守るために一生を捧げた活動家です。

1893年(明治26年)に愛知県で生まれ、戦前から戦後にかけて活躍しました。当時の日本は、女性が政治に参加することも、社会で活躍することも極めて困難な時代でした。しかし、市川房江はその壁を打ち破り、女性の参政権(投票権と被選挙権)の獲得を目指して尽力しました。今私たちが自由に投票できるのは、彼女たちのような先駆者の努力のおかげです!🙌

🟢 幼少期から抱いた「女性の権利」への思い

市川房江は教育熱心な家庭に育ち、小さい頃から「女性ももっと勉強すべきだ」という考えを持っていました。(市川房江の父は短気なところがあり、カッとなって母に対してつらくあたる事があったようですが、幼い房枝は母をかばい続けていました)当時の社会では、女性が高等教育を受ける機会は限られていましたが、彼女は懸命に学びました。この努力の背景には、「女性の地位を向上させたい」という強い思いがありました。その情熱は、後の婦人参政権運動へとつながります。🌸

🟩 新婦人協会と治安警察法第5条

市川房江は、平塚らいてうという有名な女性運動家と共に、「新婦人協会」を設立しました。この協会は、女性の権利を守るための活動を行っていました。

特に注目されたのが、「治安警察法第5条」という法律の改正運動です。この法律は、女性が政治集会を開くことや政治に関する意見を述べることを禁止していました。これでは、女性が社会や政治に関与することは不可能です。

彼女たちはこの不平等に立ち向かい、1922年にはついに法律改正を実現しました。これにより、女性も政治活動ができるようになったのです!🌈

🟢 婦人参政権の獲得に向けて

治安警察法第5条の改正後も、市川房江は女性参政権の実現を目指して活動を続けました。「婦人参政権獲得期成同盟会 」を設立し、さらに多くの女性を巻き込んで運動を進めました。

第二次世界大戦後、日本国憲法が制定される中で、彼女達の努力が実り、1945年に女性の参政権が認められました。そして、1946年には日本で初めて女性が投票できる選挙が実現しました!🏆

市川房江はその後も参議院議員として活動し、清廉潔白な政治を追求しました。

🟩 生涯独身で貫いた信念

市川房江は、生涯結婚せず独身を貫きました。それは、自分の人生全てを女性解放運動に捧げたかったからです。「結婚や子育てを選ぶと、社会運動に専念できなくなる」と考え、あえて家庭を持つことを選ばなかったのです。

彼女の生き方は、現代にも大きな影響を与えています。✨

🟢 市川房江が現代にいたら?

もし市川房江が現代に転生していたら、きっと男女格差だけでなく、世代間の格差や経済的な格差といった課題にも取り組んでいたでしょう。また、SNSを駆使して多くの人々に影響を与えていたかもしれません。

私たちも、彼女のように社会をより良くするための行動を起こせる人になりたいですね!💡

🟩 今日の学びを未来に活かそう

市川房江の生涯は、「何かを変えたい」という強い思いと行動があれば、社会をより良い方向に導けることを教えてくれます。

個別指導WAM堺市駅前校では、みなさんが自分の目標を見つけ、それを実現するための学びをサポートしています。市川房江のように、皆さんも自分の力で未来を切り開いていきましょう!🌱

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