こんにちは、個別指導Wam藤の木校です。
「俗語」といわれる日本語って、なにげに多くあります。ふだん口語(喋っていることば)では平気で、かつ頻繫に使っているのに、文章にすると直される、あるいは避けてしまう、外来語(カタカナ語)でも方言でもない、俗語。「だから日本語は面白いのだ」という人もいますが、特に外国の人が改めて日本語を学ぼうとする人たちにとっては厄介でしょうしややこしいし面倒くさいでしょうね。まあ別に日本語に限る話ではないですが・・・
今回は「明らかに正式な日本語ではないだろう」という俗語のうち、チのつく俗語を紹介しましょう。
まずは「ちょろい」。ふだんからすごく使っているかと思いますが、文章には使わないですよね。
「ちょろい」とは「安易な思考」「非常に簡単なこと」という意味です。
人に使う場合と人以外に使う場合があり、人に対して使われる場合は、「あの男子はちょろい」「彼女はちょろすぎる」などと「単純だから簡単に落とせる」といった相手を見下したニュアンスが含まれています。一方人以外に対して使う場合は、「この仕事はちょろいね」など「楽にこなせる」という意味になります。
「ちょろい」の語源は、ネズミがちょろちょろ動く様子から使われるようになった擬態語の「ちょろちょろ」が、形容詞として使われるようになり、「ちょろい」となったようです。
次に「チクる」。
「チクる」とは「告げ口をする・密告する」という意味で、「ちっくる」とも言われます。また、「チクる」は「チクル」「ちくる」と表記されることもあります。
「チクる」は1980年代ころの不良言葉が起源のようです。由来は諸説ありますが、「チクリと(嫌味を)言う」というときの「チクリ」が変化したのではといわれています。
「チクる」が使われ始めた当初は「先生・先輩・親などに告げ口をする」という意味でしたが、現在では「職場の上司・警察・報道機関などに密告する」という意味でも用いられるようになりました。
「チクる」内容は、チクられる人にとっては都合の悪いことです。類義語に「報告」がありますが、「報告」は告げ知らせることすべてに当てはまるのに対し、「チクる」はよい内容には用いられません(例えば「後輩がとてもいい仕事をしてくれた」など)。「チクる」に相当するのは、伝える内容が伝えられる人にとって都合の悪い内容の場合か、わざわざ言わなくてもよい内容である場合に限る、といえるでしょう。
次は「ちょろまかす」。
「ちょろまかす」は「ごまかす」の意味で、「人の目をごまかして盗む」とか「数量や金額をごまかしてもうける」、あるいは「言いのがれを言ってその場をごまかす」ときに使います。
その由来は諸説あるものの、「ちょろりと誤魔化すこと」からきているようです。「好色一代男」で知られる江戸時代の人形浄瑠璃作者・井原西鶴の著作に「ちょろまかす」が当時の流行言葉として紹介されているらしいので、響きは最近のようですが、けっこう昔から使われていたようですね。でも、私は関西出身ですが、あまり「ちょろまかす」という言葉は使っていなかった気がするし、今も使いません。地域差があるのでしょうか。
「ちょろまかす」は「ごまかして盗む」ことなので、悪いことだと認識しながら行うという、明らかに自覚的な悪事です。でもそうと感じさせないのは、この言葉の持つ不思議な魔力でしょうか。誰も通っていない田舎の信号を無視する程度の悪事は大目にみたとしても、だんだんエスカレートするのが人の性(さが)です。ましてや、「ちょろまかす」ことを常習とすることは犯罪に繋がるのでやめましょう。
最後におまけとして、「だらしない」(「チ」ではないですが)。
「だらしない」は、けじめがない、しまりがないといった意味ですが、もともとは「だらしない」ではなく「しだらない」だったようです。「しだらない」の「しだら」とは、行いや状態に締まりがない、乱雑で秩序がないという意味なのですが、これが音位転倒して「だらしない」になったようです。
音位転倒は、たまたま言い間違いで起きることも少なくないものの、それが固定化して語形変化を起こしたものもあるようです。よく知られているのは、昔は「あらたし」と言われていたものが「あたらしい(新しい)」に音位転倒して定着した典型例でしょう。現在でも隠語として、「サングラス」を「グラサン」と言ったり、「マネジャー」を「ジャーマネ」と言ったりしますが、これと同様の発想が江戸時代からあったというのは面白いですね。このように、意識的・作為的に音を転倒させることもまた、広い意味での音位転倒です。
このように俗語もいろいろあります。残念ながら試験で出てくる言葉に俗語はほとんどありませんが、俗語も今回のようにどういう意味なのか調べてみると、直接ではなくても間接的に役に立つかもしれません。
なお、新しく生まれる語として新語・流行語があります。新語・流行語が生まれる背景には、大きく外的要因と内的要因の二つがあるそうです。外的要因とは、その年に話題にのぼった出来事やもの、人が流行語になる場合です。内的要因とは、もともと存在していた語を省略したりあいまいにしたりする場合です。例えば「あざす」とか「了」とかですね。
外的要因はもの自体が廃れることでその言葉の使用がなくなることが多いそうです。内的要因も多くが廃れるのでしょうが、「あらたし」が「あたらしい」になったように、いずれ定着するかもしれません。
日本語はゆっくりと変化していて、ある意味“生き物”ですので、いま正しいとされる言葉も50年も経つとどうなのかはわかりませんよ?
2024年の新語・流行語大賞は「ふてほど」でした。これが一時のはやり言葉で終わるのでしょうか、あるいは日本語として定着するのか?(たぶん前者でしょうが) 答え合わせは50年後に・・・
【参考】
「ちょろい」の意味と使い方とは?「チョロい人」の特徴と対処法を解説!