
こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
学習習慣を身に付けないこと自体は悪い事ではない。しかしなぜ学習習慣を身に付けない事は“悪い種を撒いている”ことになるのか。「何もしていないのに悪い事をしている様な言いがかりはよしてくれ」と思うかもしれません。
そうです。問題は「何もしていない」という所にあります。何もしていないというその行為が“悪い種を撒いている”という行為に等しいという事が伝わると幸いです。
「何もしていない」という事を“している”のだと思って下さい。時間は刻一刻と過ぎています。年代に合わせて社会から求められることも増えてきます。
原始時代であっても、歩けるようになったら子供を狩りに連れて行くのです。手足を使えるようになったら家の手伝いをさせるのです。
これは「役割」のお話です。学生の内は社会に出るまでの「準備」であります。
その準備を「何もしないという事をしてしまった」場合、どうなりますか?
きっと就職先の上司から「学生の内に何を勉強してきたの?」と言われてしまうでしょう。
これは「順後次受(じゅんごじじゅ)」の教えに沿って考えて下さい。今日やった勉強が何の役に立つのか。学習習慣なんて無くても大人になれますが、それは歳をとっただけ人であって、何者でもありません。
そしてもう一つ。「お金を払えば勝手に成長する」と勘違いしている親がいます。
義務教育は我々の税金から成り立っています。塾の授業料は家計の一部です。
「お金」というとても分かりやすい物質的な価値を盾にして「子育てから逃げる親」がいます。お金さえ払っていれば勝手に成長してくれる。お金を払っているんだから何とかしなさいよ。
・・・実はその考え方、相当な「怠け者」の考え方です。もっと言うと「横着」しているという事に気付いてください。
「お金」と言うのは万能ではありません。魔法のように全てがうまくいくための代物ではないのです。
学習における「お金」と言うのは「学習効率を上げる」ための手段に用いる事が多いです。それ以上でもそれ以下でもありません。
例えばお金を使ってリンゴを買います。そのリンゴを家に持ち帰って切って食べますね。
これは「順現法受(じゅんげんほうじゅ)」に当たります。「リンゴを得る」ために投資したあなたはすぐに「食べる」という報酬を得る事が出来る分かりやすい例です。
これが「学習塾の学費」であればどうでしょう。かけたお金に対してすぐに結果が出るなんてことはあるでしょうか?とは言え、例えば「学習環境」や「指導してもらえる」という事に関しては即座に報酬を得られるでしょう。
しかし、学習塾の真の報酬は「成績が上がる」という事です。しかし、よく考えて頂きたいのですが、「成績が上がる」ではなく「成績を上げるのは誰?」という事です。
次回に続きます。
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