
こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
仏教における“善”とは「匠(巧み)である」という事になります。では仏教における“悪”とはどうなるのかと言うと「無知(馬鹿)である」という事になります。
※先日「馬鹿の定義」というブログを上げましたので、興味のある方は少し遡ってご覧ください。
例えば包丁がありますね。包丁は「物質的なモノを切る」と言う目的がありますモノと言うのは主に食材の事ですね。
この“包丁”を「食材を切る」と言う目的で使用する場合、これは“善行為”となりますが、人を傷つけたりそれを用いて強硬な手段に出るようなことは“悪行為”となります。
前者は「匠」であり後者は「無知」であるという事です。
しかし、悪行為をした人も「包丁は食材を切るものだ」という事は知っています。しかし知っていてもやらないという事は「悪行為」であると、仏教の教えは説くでしょう。
つまり、「知っているのにやらない」という事は“悪行為”であるという事です。学生になればおおよその良い事や良くないことを学びます。
勉強に集中した方が良い。学習習慣を身に付けましょう。予習復習をしましょう。休みの日は30分でもいいから自習しましょう。
これらの教えは学校の先生からも耳にタコが出来るくらい言われています。
それらを「やらない」場合、それは「悪い種を撒いている」という事になります。
「何もしていないのになんで悪い種を撒く事になるんだ」と思う方は、それを「無知」と言います。
前述した通り「知っていることをやらない」のは“悪行為”であり“悪い種を撒いている”のと同義であります。
ところが“悪い種を撒く=悪い事”ではないというのが今回のお話のミソになります。
勉強をした方が良いのにしない、学習習慣を身に付けた方が良いのに身に付けない、と言うのは実は世間一般的に言われている「悪い事」ではないのです。
だったらなぜ“悪い種を撒いている”ことになるのか、それならいいじゃないかと思われるかもしれませんが、この話は次回に続きます。
次回に続きます。
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