教室ブログ

2024.12.02

考えるとは

「考える」ということは、人間に備わった大切な能力です。では、「考える」とは、一体何をすることなのでしょうか? 辞書には、

考えるとは、頭を働かせること、思いをめぐらせること、工夫すること、等と書かれています。

 

では、「考える」と、「思う」・「感じる」は、一体何が違うのでしょう?

たとえば、何かを食べている時に、ある人は「おいしい」と思う、感じる。一方で、他のある人は「おいしい。何が入っているんだろう?」と考える。この二つには差があります。
「思う、感じる」と「考える」の違いは、「問い」が在ることです。この場合、「何が入っているんだろう?」が「問い」です。 一方で「おいしい」というのは、感想であり、「問い」ではありません。
では、何のために「問い」があるのでしょうか?
「何が入っているんだろう?」という「問い」が在ることで、感想とは違い「○○が入っている(かもしれない)」という一つの「答え」を導き出すことができます。「問い」は、「答え」を導き出すためにあると言えます。
では、「問い」「答え」があれば、それは「考える」と言えるのでしょうか?
わからないことや思い出せないことがあった時、簡単なことであればネット検索で「答え」が見つかります。
また、電卓に計算式を打ち込むと、すぐに「答え」が出てきます。 これは「検索して調べた」「電卓で計算した」と言うことはできても、「考える」と言うことはできません。とはいえ「考えていない」とも言えませんが、単純に「問い」「答え」があるだけではなく、「考える」ということには他の要素も必要ということが分かります。

「問い」があっても、「答え」が出ない場合もあります。

たとえば、「世界中の人が幸せになれるか?」という「問い」に、すぐに「答え」を出すことは難しいです。大事な「問い」ですが、あまりに壮大なテーマの「問い」で、「答え」は難しいです。

また、東京から大阪までの移動にどれくらい時間がかかるのかを知りたい時に、「徒歩で行くとどれくらいかかるのか?」という「問い」を立ててしまうと、現実的に知りたい「答え」を得られるには時間がかかります。

長距離を歩くことは現実的ではないので、「新幹線でいくとどれくらい時間がかかるのか?」「飛行機を使うとどれくらい時間がかかるのか?」といった「問い」を立てる方が「答え」を得られます。

立てた「問い」が壮大すぎる場合も、的外れな場合も、求める「答え」を導き出すのは難しいのです。

 

「考える」ための大切なポイントは、求める「答え」を導き出すために、その場に最も適したより善い「問い」を立てることです。学校教育の過程で、問題集を解く宿題やテストなど「問い」があらかじめ用意された場面が当たり前に多すぎたため、「答え」を調べたり、暗記したりすることには慣れていても、自分で一から「問い」を立てることには、慣れていません。

しかし、ここまでいろんな視点から探ってみた結果、「考える」ことの本質は、「問い」を立てることにあります。

 

ですから、

「考える」とは、その時、その場に適した、求める答えを導き出す、より善い「問い」を作ること。作ったより善い「問い」から、より善い「答え」を導き出すことなのです。

 

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