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2024.11.28

都道府県の歴史

こんにちは、個別指導Wam藤の木校です。

 

中学2年の初めに社会で習う日本の都道府県名。47もあるので、なかなか覚えられなくて苦しんだ経験がある人も多いのではないでしょうか。近県はともかく他の地方の県はなかなか覚えられないし、テスト前はなんとか覚えていても(覚えられなくても?)テストを過ぎるとすぐ忘れてしまったという人も多いでしょう。都道府県名だけならともかく、県名と県庁所在地名が違うところが21もある(岩手県盛岡市など)のは納得いかない、という人は多いのではないでしょうか。

今回は都道府県名の歴史とともに、富山県の歴史も見てみましょう。

 

都道府県誕生の歴史は幕末にさかのぼります。そのときは大名が統治する藩だったのですが(とはいえ当時は「藩」という呼称自体が正式なものではなかったのですが)、藩の命名に統一方針はなく、城下町名(例:「鹿児島藩」)や広域地名(例:「薩摩藩」)、あるいは藩主の姓(例:「島津藩」)のいずれを称するかは定まっていなかったようです。

その頃の富山は加賀藩と富山藩・・・富山藩は婦負(ねい)郡と新川郡の一部だけでした。今はもう婦負郡自体ないですが、およそ呉羽丘陵より東、神通川より西の南北に細いエリアが婦負郡です。その婦負郡に新川郡である富山城周辺がくっついたのが富山藩で、東西は加賀藩でした。

 

さて明治元年(1868年)、政府はかつての幕府の直轄地であった地域のうち、三都(江戸・大坂・京)や開港5港などを管轄する重要地域を「府」、それ以外を「県」と定めました。これにより10府(箱館府/東京府/神奈川府/越後府/甲斐府/京都府/大阪府/奈良府/度会府/長崎府)が置かれましたが、その翌年に東京府/京都府/大阪府以外は「県」に改められます。つまり「府」と「県」の違いは、重要かどうか、だったんですね。そのとき府県の名称には庁舎所在地を用いることが原則になっていました。

でも幕府の直轄地でない藩はそのまま大名が治めていました。だから初めは「都道府県」ではなく「府藩県」だったのです(府藩県三治制)。当然加賀藩と富山藩もそのままでした。

そして明治4年(1871年)、廃藩置県。藩は県となり全国が明治政府の直轄になります。とはいえかつての藩をそのまま県とし、また藩や天領の境界をほぼそのまま踏襲したので、飛び地などが非常に多くあったほか、県が302と膨大な数になっていました。

だから富山藩は富山県に、金沢藩は金沢県になっただけ。境界も変わらず。この時点での日本は1使(開拓使)3府(東京府・京都府・大阪府)302県。

 

そして翌年明治5年(1872年)12月に整理合併(第1次府県統合)し、1使3府72県になりました。およそ4分の1ですね。このとき富山県は新川県になり、県庁所在地も魚津になりました。県域は射水郡(今の高岡市の一部と射水市・氷見市)と除く婦負郡・砺波郡・新川郡。射水郡は七尾県でした。

その10か月後の明治6年(1873年)9月、七尾県が廃止され、射水郡が新川県へ編入されました。これでいまの県域とおよそ同じとなります。県庁も魚津から富山になりました。ちなみにそのとき金沢県が石川県になっています。

 

続いて明治9年(1876年)4月にも県の大規模合併(第2次府県統合)を行い半分強の37府県となりました。新川県として動き始めていたのになくなって、いまの富山県・石川県全域が石川県になります。

が、ちょっとやりすぎたようで、各地で分割運動が起こり、結果的に1使(開拓使)3府(東京府・京都府・大阪府)43県となります。でも石川県はそのまま。

明治15年(1882年)、開拓使が廃止され、函館県・札幌県・根室県の3県が設置されました。ようやく北海道が本州などと同格になりました。

明治16年(1882年)、石川県から富山県が分離・設置され、やっと現在の県域が確定しました。

 

明治19年(1886年)できたと思った函館県・札幌県・根室県の3県が廃止され、「北海道庁」が設置されました。この時点ではまだ北海道は「道」ではなかったのです。結果、日本は「3府41県1庁」に。

明治21年(1888年)頃、大阪府から奈良県が、愛媛県から香川県が独立して「3府43県1庁」となり、合計47に。こうして現在の都道府県の原型ができ上がりました。

ちなみに大日本帝国憲法公布は明治22年(1889年)。それにあわせたわけでもないでしょうが、ぎりぎり憲法に間に合った形ですね。

 

その後50年ほど、この体制は変わりませんでしたが、戦時中の昭和18年(1943年)、正式に内地編入された樺太庁が追加されます。そして東京府とその中の東京市が廃止され、「東京都」が生まれます。

もともと東京府には、東京市という大きな市がありました。しかしこれが東京都の一部として発展的解消、かつて東京市だった地域は市町村ではなくなり、直接区が置かれるようになりました。これが現在の特別区、23区です。ちなみに特別区は「東京都新宿区」のように都の1つ下の区分となりますが、それ以外の区はふつう、例えば大阪府なら「大阪府大阪市北区」のように、道府県の下の、市のさらに下の区分になります。同じ「区」なのに紛らわしいですね。

終戦時は1都(東京都)2庁(北海道庁・樺太庁)2府(京都府・大阪府)43県。

 

戦後、昭和22年(1947年)には北海道庁が「北海道」と改称され、「道」が生まれました。(沖縄県はこの時点ではアメリカ占領下でしたが)これにて現在の1都1道2府43県の完成です。

 

最後に、都道府県名と県庁所在地名が違うところが21もあるのはなぜでしょうか。

都道府県の名称の原則は庁舎所在地名だったのですが、廃藩置県直後の第1次府県統合時(1872年)やその直後(約7ヶ月以内)に、「都市の名称」に基づく県名を「郡の名称」などに改称した事例が数多くあったようです。例えば岩手県盛岡市の場合なのですが、でもその具体的な理由は必ずしも明らかでありません。

 

都道府県名ってややこしいですね。でもその成立経緯にはドラマがあるように思います。ただ「1都1道2府43県」とだけ覚えるのではもったいない、もう少し深掘りすれば、意外な発見があるかもしれませんよ?

 

【参考】

Wikipedia:都道府県

「都」「道」「府」「県」― 呼び名が違うのはなぜ? : 東京都が「特別」な理由

【意外と説明できない】都・道・府・県って、何が違うの?

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