こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
人が成長し「自分」と「他人」を嫌と言うほど体感します。自分以外の他人が居る。その他人は自分より優れている気がする。自分が周りから見て劣っているような感覚がある。
そのような感覚を持つ人は「自分」に対する執着をより強固なものにしていきます。
なぜなら「この自分は得別でなければならない」と深く理解しているからです。もしその他大勢に紛れてしまったら生きていく事が出来ないと思うからです。
最近はあまり聞かないですが「珍走団」が居ますね。爆音をまき散らしながら危険運転をする。このような子供たちは「自分への執着心が強い」という事です。その他大勢になってしまったら生きていく勇気が無い。だから「特別」であろうとします。
例えそれが他人に迷惑を掛けるという手段であっても「生きる上での価値」を見出せるような気がします。他人に嫌われることは知っています。しかしその嫌われることを差し置いてでも「特別」であることを優先します。
ここまで行かなくとも、例えば会社でわがままを言ってみる。部下にパワハラをして「もう会社に来なくてもいい!」なんて言ってみては、本当に来なくなったらどうしようとびくびくしながら、翌日来たらホッとする上司。
世の中には「自分」を守るためにあの手この手を使って生きている人がたくさんいます。
これは「生存本能」ですから仕方が無いのです。
しかし、果たして「自分」とはそこまで大切にする必要があるでしょうか。前述しました通り、ちゃんと生きるための機能は備わっています。
その上で他者に貢献してみる。自己犠牲ではありません。まずは「自分で自分を満たす」。その上で他者に貢献するのです。
そうすることによって「私は社会の役に立っている」という感覚を得る事が出来ます。そうしなくとも人間は生きているだけで価値があります。
今朝食べたお魚も生きる価値があります。道に生えている草木や昆虫も生きる価値があります。人間だけが特別ではないのです。
この様な感覚を「共同体感覚」と言います。
「自分らしく生きる」とは「自然と調和して生きる」という事です。自分を特別扱いしないという事です。尚も自己表現をし「私が特別なんだ」と思わない生き方です。
冒頭に紹介しました「君子は和すれども同ぜず。小人は同ずれども和せず」とは「自分以外の他人との調和、自然との調和をする。私だけが特別ではないことに気付く」という事です。小人は「私が特別だから周りと上辺だけの人間関係を築く。その方法しか知らない」という事です。
このブログを読んだ方の中にほんのわずかでも「自分らしく生きなくてもいい」という事に気付いた方がいらっしゃいましたら幸いです。
我を張らず、周りと調和して生きてみる。その方向の努力を少しずつ重ねてみるという事です。共に頑張りましょう。
ありがとうございました。
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黒田 裕亮
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