皆さんこんにちは。WAM黒原校の米井(こめい)です。
今回は誰もその答えを見いだせないでいるテーマについてちょっと思いを馳せてみましょう。
そう!タイトル通り「人間の本質ってどういうものなん??」
実はめちゃくちゃ簡単な問いなのかもしれないですし、決して答えの出ない問いなのかもしれませんが、皆さんはどうお考えでしょう?
有名なところでいくと「性善説(人はみな生まれつき善の性質をもつという説)」と「性悪説(人はみな生まれつき悪の性質をもつという説)」があるかと思うのですが、ぶっちゃけ米井的にはどっちでもないよねってのが正直なところです。
というか、善だの悪だの偏った見方のみで、この世に生を受ける前の生き物の本質がどうなのかを判断したりひとくくりにすること自体がナンセンスじゃね?って思っちゃいます。
なぜなら、例えばこんな出来事なんてどうでしょうか。
ガリガリにやせ細った、見るからに栄養失調で数時間もすれば今にも餓死してしまいそうに弱りきった野良猫がいたとします。
その野良猫をまだ幼い子どもが見つけたとしましょう。
そして、その子どもちゃんはなんとか助けてあげたくて、食べ物を与えてやりたい気持ちになりました。
しかし、お父さんもお母さんもお仕事でお家にいません。
誰か大人に助けを求めようと通りすがりの人に声をかけましたが、「かわいそうだけど、野良猫を助けて近くの住人のひとに迷惑かけたらダメだからねぇ。」と断られました。
子どもちゃんはなんとか食べ物をあげることができないかと思い、近くのコンビニの店員さんに事情を説明して、食べ物をくださいとお願いしましたが、「申し訳ないけれども、規則だから店のものをタダであげるわけにはいかないよ。」と断られてしまいました。
途方にくれた子どもちゃんは、コッソリ店のものを万引きして野良猫に与えました。
さぁ、はたしてこの子どもちゃんは善人なのでしょうか?それとも悪人なのでしょうか?
生活していくために共働きで家を留守にしているお父さんやお母さんは?
地域住民への生活環境被害を考慮して断った通行人の大人は?
規則だから商品を無料であげることはできないと断ったコンビニの店員さんは?
みんな果たして善人なのでしょうか?それとも悪人なのでしょうか?
善とか悪とかで判断できないですよねぇ・・・
そもそも善とか悪とかは、主観となる立場やその時代における常識やらで変動するもので、普遍的なものじゃないですもんね。
なので、これは米井の超利己的な考え方なのですが、善とか悪とかで考えるのではなく「好き」か「嫌い」かで判断するようにしています。
色々と弊害がでてくることもあるので、もちろんそれが正しいかどうかはわかりません。
ただそれが一番単純でわかりやすいですし、うにうに悩んで何も行動しないのが嫌いな米井にとっては、一番行動にうつしやすい判断基準だからといったとこです。
恐らくもっと素晴らしい答えを持った方がいらっしゃると思います。
そして、(この場ではあえて深く触れることはしませんが)人間は国だの組織だの集まると違う生き物にもなると感じてます。
SNSによる吊し上げ・いじめ問題・年金問題・優先座席の必要性まで、大きな課題から身近な課題まで数え上げればキリがないです。
人が集まると様々なことが起こります。
これは人類の歴史がすべてを物語っていますよね。
戦争は無くならないですし、人間による乱獲や環境破壊などで絶滅に追いやってきた生物がどれほど多いことか・・・
その一方でLOVE&PEACEを掲げて様々な活動をする人々はずっといますし、環境保護や絶滅しそうな生き物の保護に取り組む人々もたくさんいらっしゃいます。
様々な一面を複数持っているのが人間です。
そしてまた、人類は組織を作って協力し合うことで生き残ってきたのもまた歴史上の事実です。
そろそろ長くなってきましたので、人間の本質に関する前編部分はこのくらいにしたいと思います。
先ほど人間のせいで絶滅してしまった生き物の多さを話題にあげましたが、皆さんは人間の乱獲によって一度は絶滅してしまったといわれる「アホウドリ」という鳥をご存知でしょうか??
次回『人間の本質とは・・・そして学びとは・・・(後編)』にてこの「アホウドリ」を絡めながら「学びとは」の部分のお話をしていきたいと思います。
↑アホウドリちゃん