「考える」ということは、人間に備わった大切な能力です。では、「考える」とは、一体何をすることなのでしょうか? 辞書には、
考えるとは、頭を働かせること、思いをめぐらせること、工夫すること、等と書かれています。
では、「考える」と、「思う」・「感じる」は、一体何が違うのでしょう?
「問い」があっても、「答え」が出ない場合もあります。
たとえば、「世界中の人が幸せになれるか?」という「問い」に、すぐに「答え」を出すことは難しいです。大事な「問い」ですが、あまりに壮大なテーマの「問い」で、「答え」は難しいです。
また、東京から大阪までの移動にどれくらい時間がかかるのかを知りたい時に、「徒歩で行くとどれくらいかかるのか?」という「問い」を立ててしまうと、現実的に知りたい「答え」を得られるには時間がかかります。
長距離を歩くことは現実的ではないので、「新幹線でいくとどれくらい時間がかかるのか?」「飛行機を使うとどれくらい時間がかかるのか?」といった「問い」を立てる方が「答え」を得られます。
立てた「問い」が壮大すぎる場合も、的外れな場合も、求める「答え」を導き出すのは難しいのです。
「考える」ための大切なポイントは、求める「答え」を導き出すために、その場に最も適したより善い「問い」を立てることです。学校教育の過程で、問題集を解く宿題やテストなど「問い」があらかじめ用意された場面が当たり前に多すぎたため、「答え」を調べたり、暗記したりすることには慣れていても、自分で一から「問い」を立てることには、慣れていません。
しかし、ここまでいろんな視点から探ってみた結果、「考える」ことの本質は、「問い」を立てることにあります。
ですから、
「考える」とは、その時、その場に適した、求める答えを導き出す、より善い「問い」を作ること。作ったより善い「問い」から、より善い「答え」を導き出すことなのです。