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2024.06.13

英語版ドラゴンボール ~英語を学ぶ意義

こんにちは、藤の木校です。

 

今年3月、「ドラゴンボール」で知られる漫画家・鳥山明さんが亡くなったというニュースが、日本に限らず世界中を驚かせました。まずはお悔やみ申し上げるとともに、日本のマンガ・アニメがこんなに世界中で楽しまれているとはと、何となく知ってはいたものの改めて驚かされました。

 

ところで日本で親しんだ同じキャラクターのはずなのに、「海外の人は少し違うところで盛り上がっているな」と感じたことはありませんか。それはその国のお国柄もあるのかもしれませんが、翻訳の問題もあるのかもしれません。

というのも、日本のアニメが海外に輸出されるとき、基本的には当然日本語を翻訳するものの、全て忠実に翻訳するのではなく、その国の文化や風習に合わせたより自由な解釈でその言語に直すことで、その国の人に受け入れやすいようにしているそうです。だから、日本語版と英語版で有名なセリフとして残るポイントが、少し違ったりするのですね。

今回は、アメリカで放送されたドラゴンボールのうち、日本語をそのまま翻訳していなかった英語のセリフをピックアップしてみましょう。

 

まず、宇宙から来たサイヤ人のナッパに倒されたピッコロが死ぬ間際に呟くシーン。

日本語版:「貴様といたこの一年、悪くなかったぜ・・・死ぬなよ、悟飯・・・」

英語版:「You are like the son, I never had. I proud you. Good-bye, my friend. 」

訳:「俺には息子はいないけど、お前を息子のように思っているぜ。お前を誇りに思う。さらばだ、友よ。」

ちょっとニュアンス違いますよね。「息子」とか「誇り」とか「友」とか、他のマンガやアニメではありそうですがドラゴンボールでは若干違和感があります。

とはいえ、マンガの中では「お前たち親子の甘さがうつっちまったようだ」というセリフがあり、悟空へのリスペクトと悟飯の愛情が示されていることを考えると、あながち「違い過ぎ」とも言えません。

 

もうひとつ。怒りに震えた悟空に対し、ベジータにナッパが戦闘力の値(スカウター)を尋ねるシーン。

ナッパ「カカロットの戦闘力はいくつなんだ?」

日本語版:ベジータ「8000以上だ」

英語版:「It’s over nine thousand!」(9000以上だ)

・・・あれ? 増えてないですか?日本では8000なのに、英語はなぜ9000?

その理由は正式にはわからないのですが、「アニメの口の動きがeightよりもnineの方が口の動きにあっているから」や、「“エ”より“ナ”の方が口を大きく開けるので言いやすくインパクトがあるから」といった説があるようです。ううむ、いろいろ工夫されているんですねえ。

これは英語版ドラゴンボールZで最もバズッたセリフらしく、ベジータの「over nine thousand」というセリフがプリントされたTシャツなど様々な非公式グッズが売られているようで、Wikipediaにも記載されているそうです。

確かに盛り上がるシーンではありますが、日本人にとっては少し予想外のようにも感じますね。

 

今や日本文化は様々な形で輸出されていて、それは何となく嬉しくなるのですが、でも上のように言語だけでなくその文化に馴染むよう改変されることも珍しくないようです。異文化に翻訳されて変わっていることを、笑う程度ならよいですが、意図しない差別的な笑いになっていたり、政治的に利用されたりするのは、あまり気持ちのよいことではありません。

 

一方で、スマホ越しに声を投げただけで翻訳される「リアルタイム翻訳」も徐々に普及している中、「これがあるんだったら厄介な英語の勉強なんてする必要あるの?」という声が、以前よりもまして大きくなっています。

確かにリアルタイム翻訳は便利です。ただ、日本語というのは日本の文化を、英語は英語の文化を基盤にして、長い長い年月を経る中で少しずつ成り立ってきたものです。それは古文もまたわけわからんのを考えると納得するでしょう。だから「この日本語はどうやっても英語にできない」ということがありますし、日本語なら一言で済んでも英語に翻訳しようとするとやたら長くなってしまうことがあります。もちろん逆の、英語から日本語でも、あるいは他の言語同士でも同様です。

 

ここに、英語を学ぶ意義があるんです。

学校で(嫌々ながらでも?)英語に触れることで、「異なる言語だとこんなに違うのか、単語がわかっても(例えば机がdeskとわかっても)文法が違うと表現がこんなに違うのか、英語って難しいなあ、厄介だなあ」と思うことこそ大切なのです。

それに、異なる言語なのに意外に似ているところもあります。英語の単語を覚える中で初めて日本語の単語を知ることもあるし、英語で出てきた表現やフレーズの中には言われてみれば日本語でも似たようなのがあるよねと再認識することもあります。私の経験でいうと、「流暢(ちょう)に」という言葉なんて、英語の勉強をしている中でfluentlyという単語に出会うまでは知りませんでした。全く違う言語なのに共通することもある。だから翻訳なるものができるのです。

 

海外に旅行して、スマホの翻訳ツールに頼るのはとてもよいと思いますし、映画も日本語吹替版で楽しめばよいと思います。でも「だから英語を学ぶ必要はない」とはなりません

使う言語が違っても、また異文化でも、同じ星に住む私たちです。わかりあえるしわかりあう必要があります。ましてや国内でも、観光客だけでなく学校にも、(今通う学校がどうなのかはわかりませんが)日本人以外の人が徐々に増えているようです。

日本語をベースにして英語を学習するのは誰にとってもたいへんなことです。が、その苦労を通じて、いろんな言語、文化、そこに住む人々を知っていきましょう。「同じ人間だから言わなくてもわかるはずだ」ではなく、「これは文化が違うとわからないかも」と気付くようになりましょう。

そして、文化的背景が違っていても、同じアニメや映画を観て楽しみましょう。

 

<参考>TBS RADIO Podcast「荻上チキSession」より

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