こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
前回は「規矩行い尽くすべからず」とは「ルールを守るのは当然だし良い事ですよ。必要な事です。しかし「守りすぎる」もの良くないよね。時と場合がありますよね。」と言うお話でした。
ここで恐らく疑問に思う方がいると思います。「正しさは時と場合による。だったら何を基準に判断すればいいんだ?」という疑問に到達するのではないでしょうか?
その思考回路は本当に素晴らしいです。その答えは「知恵」にあります。「教養」と置き換えて頂いても構いません。
皆さんも学校で「道徳」の授業があったと思います。この教えは明治時代からあり、当時は「修身」という教科でした1845年~1945年まではこの「修身」が主な教えでありましたが、戦後この教えは「道徳」という名前に変わり、現代にも引き継がれています。
「修身」とは「身を修める事」と言う意味です。当時は極端な国家主義・軍国主義的思考が先行しており、お国の為に身を捧げる思考、価値観が当たり前の時代でした。
終戦後、GHQの民主化路線によって、極端な国家主義・軍国主義的だった修身は撤廃され、特定の道徳の時間はもたず、学校教育全体を通じて道徳教育が行われることになりました。
この経緯を見ても「正しさとは時代によって変化する」事がよくわかると思います。
現代の我々は「道徳」を通じて「知恵」を養っている訳でありますが、実はこの「道徳」を習ったからと言って全員が「知恵」を持てるのかと言うと、残念ながらそんな簡単な問題ではありません。
今の学校教育の「道徳」は「知識」に留まってしまっています。知識とは「ただ知っている」という事です。知っているだけでは知恵のある人間とは言えません(以下、知恵を「教養」と表現します)
次回に続きます。
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