こんにちは、個別指導Wam藤の木校です。
4月になりました。学校生活はいかがでしょうか。
「勉強以外は全部楽しい!すごく居心地よい!」という人は・・・あまりいないように思いますが、今回は居心地のよくない学校生活を乗り越えるには、というお話です。
マスメディアで繰り返し少子化問題が報道されています。それによって子どもをもつ親は、世間から陰に陽に「少なくなった子どもは大切。だから親は子どもを全力で守り、子どもの全責任を負うべきだ」という強い圧力を受けています。
ふだんは素っ気ない親の振る舞いをみている皆さんも、多かれ少なかれ「親の期待に応えなきゃ」と思っているのではないでしょうか。
そんな親が期待するものは何か。
「私(=親)のことなんて気にしなくてよいから、本人(=子ども)が幸せになってくれればいいんだよ」
・・・そんな感じでしょうか。よい話のようにみえるものの、素直に嬉しいとは思えないのはなぜなのでしょう?
ここでいう「本人の幸せ」とは、皆さん(本人)自身がこうなりたいと望んでいるものではないですよね。「本人の幸せ」とは、親が「こうなれば本人は幸せに違いない」と考えている幸せではないでしょうか。
それを受けて皆さん本人(=子ども)は常に、「周りから(特に母親から)「幸せ」と思われるような生き方をしなくては」と思っているのではないでしょうか。
もしかすると強迫観念のように「最低限、親が望む「幸せ」にならなくてはいけない(その次に自分の望む幸せになろう)」と思っている人もいるかもしれません。
でもその「幸せ」って、具体的に何なのでしょう?
親は言うでしょう、「あなたがなりたいものになってくれればそれでよい」と。
でも親の「あなた(=本人=子ども)がなりたいもの」とは「私(=親)が許容できる範囲」に限られています。「なりたいものになれ」というのは、文字通り「本人(=子ども)が希望するものになってよい」のではなく、「親が考えているであろう(=よくわからない)ものになれ」という意味でもあります。
本人が望むものと同じなのかそうでないかもわからない。でも親に訊いたところで「自分が思うものになればいいんだよ」と同義反復のように言われてしまう。それがストレスになってはいないでしょうか。
そんなよくわからないストレスから逃れる方法があります。
よい大学にいくことです。
よい大学とはいわゆる難関大学のことです。
よい大学にいくほど、一般に社会に出たとき高く評価されやすいので、大学卒業後の選択肢が拡がります。
大学に進学した後に、多くの選択肢の中から親が望むであろうものを選べばよいのです。
もちろん自分が一番望むものを選んでもよいでしょう。でも、自分が望むものが親が望むものとは限らず、親は直接は言わないけれどいい顔をしていないかもしれません。
そのときは別に次候補にしてもよいのです。選択肢が多いからこそ、それが可能になる。選択肢を多くするために、よい大学にいく。そのために勉強するのです。
ある人は、東大を出てラーメン屋に就職したそうです。「東大出たのになぜラーメン屋?もったいないなあ」と多くの人は思うでしょう、でも彼は100ある選択肢の中でラーメン屋を選んだのです。5,6しかない選択肢の中から“仕方なく”選んだラーメン屋とは、本人の「なりたい」の強さが違います。
もっと具体的に、ある脳科学者の話をしましょう。
脳科学者の中野信子さんは、中学・高校時代みんなとなかなか仲よくすることができなかったそうです。女子は特にコミュニケーションの密度が濃いので、何を話しているのかわからないと孤立して、結果として陰で「協調性がない」「利己的」とされていました。
異質さは個性とは違います。だから一般的といわれる社会に苦もなく溶け込んでいる人たちが、すごくねたましく思っていたそうです。
「自分は多くの人が所属している世界から逸脱している」という感覚の中、逸脱している自分をどう扱ったらよいのだろう、と悩んでいたそうです。そういった心の痛みとの折り合いがつかず、どうにかしたくていろいろ調べ続けていました。
それもあって徐々に成績が良くなっていったのですが、結果的には成績が良くなると友だちから後ろ指をさされることが少なくなったそうです。
何より、勉強に打ち込んでいると一人でいても何も言われないようになったそうです。
このようにして中野さんは勉強に救われ、現在も脳科学研究に励んでいるようです。
学校というところは、「個性を大切に」と言いながら、目立ちすぎると難色を示しますよね。
飛び抜けた能力や個性の持ち主が、いつも大事にされるわけではなく、ひとたび周りと違った行動や発言をすれば疎ましがられてしまいます。「能力を伸ばせ」「勉強しろ」と言いながら、出過ぎると足を引っ張られる。学歴社会だ、競争社会だといいつつ、平等であることもまた重視される・・・
そんな「競争しつつ平等」という意味不明な空間から逃れる方法があります。
よい大学にいくことです。
中野さんは大学に進学したとき、大学は異質な人が集められている感じがしてほっとしたそうです。
特に東大は、良くも悪くもおかしな人が多いので、自分が特殊ではない、というより周りの方がよっぽど変(アブノーマル)だと感じ、気持ちが楽になったといいます。
・・・とはいっても、いま中学や高校で勉強に四苦八苦している人には「そんなの無理だよ」と諦めてしまっているかもしれません。
そんな皆さんに、伝説の女優・オードリーヘップバーンの言葉を紹介しましょう。
Nothing is impossible. The words say ‘I’m possible’.
(不可能なことは何もない。その言葉自体が「私はできる」と言っている。)
・・・はぁ?と思うかもしれませんが。
impossibleとは「不可能な」という意味。possibleは「可能な」という意味です。
impossibleという単語のiとmのあいだに’(アポストロフィ)をつけると「i’m possible」になりますよね。つまり’I’m possible’、「私はできる」になるのだ、というわけです。
大学に行って自分を発見しましょう。そのための勉強です。「勉強しろ」と言われるから、怒られるから、ではなく、自分の世界を解放するために勉強するのです。
無理かどうかはやってみないとわからない。頑張った結果として到達したところが別に難関大学でなくても、皆さんの選択肢は着実に多くなっているはずです。
【参考】
英語の表現:オードリー・ヘップバーンが言った素敵な言葉とは?
中野 信子・澤田 匡人「正しい恨みの晴らし方―科学で読み解くネガティブ感情」ポプラ新書