こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
しかし人生とはかくも面白いもので、そのような人でさえも「人生の岐路」に出会う事が出来ます。これは全人類共通であり、必ず人生の岐路に立つ事が出来ます。
人生の岐路とは。つまり「人間関係」です。人生の岐路とは常に人間関係の中に隠れているのです。常にとは「日常」であり、特別視するものではないという事です。
ちなみに、昔のドラマのように「たまたま助けたおばあさんが社長夫人だった」や「釣り仲間のおじさんが実は会社の会長だった」なんてことは「ありえません」。
これはドラマのストーリーであり現実ではありえないのです。
そしてそのような絵空事に「期待している」としたら、自分は相当甘いのだと思って下さい。過去のあなたの行動の結果が「現在」であり、これからのあなたの行動が「未来」を作ります。ですので「あいつが悪い。こいつが悪い」ではなく「現状は私が選んだ結果なんだ」と思って下さい。
これは頭で理解できるようなことではありません。なぜなら散々逃げてきた人はこれからも逃げるという方法しか思い浮かばないからです。
もっと酷なお話をしましょう。何歳になっても「俺は悪くない」という他責思考で生き続けたとした場合。あなたは「一生幸せにはなれません」なぜなら「幸せすら他人任せ」になるからです。
「この人がこうなったら私は幸せなんだ。」「あの上司がいなくなったら私は幸せなんだ」という他責思考は「それがある事によって行動しなくてもいい」という理由付けである、と思って下さい。
ここは感覚的なお話なのですが、心理学的に言うと「被害者ポジション」と言います。このポジションはとても居心地がいいんですね。この話はまた別の機会にさせて頂きます。
この地球は三次元で出来ています。という事は有限なのです。20歳を超えると身体は日々劣化しますし、社会は日々進歩していますから常に価値観もアップデートしなければなりません。
だから「おもしろい」のです。制限を楽しむという事です。
話が多方向に流れてしまいましたが、結論「人生はあなたの思う通りになる」という事です。Aさんは「逃げたいから逃げた」のです。その結果「逃げ続けた先の人生」を得る事が出来ました。これは素晴らしい事です。
他責思考を繰り返しました。それによって「自分は悪くない」というポジションに立ち、自責の念に押しつぶされることなく、人生を歩めています。素晴らしい事です。
で、「それでいいの?」という問いに対して「私の人生はそれでいいのです」と自身を持って答えられる場合、それでいいのです。
もし「こうなると思わなかった」のであれば「そうならない人生」を選び直すという事をしましょう。
その先に何が待っているのか。ここからのお話はさらに長くなるので、一旦この辺で。
如何でしたでしょうか?
何度も言いますが「どの人生もいい人生」だという事であり、そこに優劣を付けてはなりません。人間は10万回生まれ変わると言われていますから、たった1回2回そんな人生があってもいいのです。
我々はもっと広い視野を持たなければなりません。そして気付いた人から行動に起こさなければなりません。それが人間関係であり、人生を賭けた修行なのです。
ありがとうございました。