こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
前回は所属感を得るための問題行動についてお話をしました。
ここからはさらに深く、具体的なお話をしていきましょう。
何度も申しますが、その問題行動を起こす目的は「所属感を得る為」だという事です。
言い方を変えると「所属感を得るための手段はいとわない」という事になります。
もっと言うと「本当はそんなことはしたくない」という事です。
人は、表面的な言動や行動だけを見て、評価をしがちです。例えば人の悪口を言う人、人に嫌がらせをする人が居ますが、この人たちもそれ自体が本意ではないという事です。
もし本意だとしたら死ぬ気だという事です。だって人間はコミュニティの中でしか生きられない、コミュニティを放棄するという事は死ぬという事です。
もっと奥の深層心理・無意識の中には「所属感が欲しい」という欲求が問題行動に走らせているという事です。
この問題行動を起こしてしまう原因は一つではありません。大小関わらずその人に起きた、複数の事柄が原因であり、結果「所属感が得られなかった」という事です。本人が悪いわけでもなく、周りや環境が悪いわけでもないのです。「そういうもの」として捉えて頂ければと思います。
自己肯定感が低い人にも同じことが言えます。つまり「圧倒的な劣等感」を持っている人は、本意ではない行動を無意識に行い、正当化し「自分は被害者だ」というポジションに立ち、自身の欲求を満たそうとするという事です。
では、「本意では無かったら何でも許されるのか」という理論にたどり着くと思いますが、当然許されることは無いでしょう。実害が出ている場合尚の事、その人は非難されることとなります。
ところが、その「非難」ですら本人にとっては嬉しい事であります。人間が一番怖がることは「周囲の無関心」だという事です。
次回に続きます。