こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
もし、反抗期を迎えて、子供が親に「反抗できなかった」とします。子供が反抗してきたとき、親は目も当てられないくらい罵倒し、痛めつけてしまったとしますよね。
すると、子供は「僕の(私の)親に何を言っても聞いてくれない。だから親を頼るのはもうやめよう」と思います。そしてそのまま社会人になった時、自立した時、「親に興味関心を持たなくなる」という事が起きます。
または、反抗期すら迎えられなかった場合。言いたいことが言えない場合。親の顔色を見ながら毎日生活したとします。そのような家庭で育った子供は、大人になった時「周りの顔色をうかがいながら、自分を殺し、自己表現が出来ない大人」になります。
それ以外にもたくさんの影響がありますが、長くなりますので、一旦この辺で。
つまり、「神事」とは「必要な事」であり、親も子も経験をしなければならないという事です。反抗期とは神事である。必要な事であると双方が認識し、受け入れ、向き合い、乗り越えた時、新しい親子関係、引いては「人間関係」へと変貌を遂げるという事ですね。
如何でしたでしょうか?
反抗期とは誰にでもある。しかし「反抗したくても出来ない子供」と言うのはこの世の中に五万といます。反抗できる親がいます。反抗してくる子供がいます。お互いの存在自体がありがたく「当たり前」ではありません。「神事」とは「ありがたい事」なのです。
子供は「反抗できる親がいてありがたい。」と思う事で反抗期を抜けます。
親は反抗してくる子供に対して「立派に成長をしてくれたなぁ。ありがたいなぁ。」と思えるようになることで子供の反抗期を暖かく見守る事が出来るでしょう。
次回に続きます。