教室ブログ

2023.08.23

何のために学ぶか?

こんにちは。Wam三咲校の大國です。「地球は沸騰している」国連のグテーレス事務総長の発言通り、日本も暑さ厳しい夏になりました。9月10月も暑さが続くようです。皆様、お体ご自愛ください。

夏休みの夏期講習も残すところ約1週間。受験生は20日と27日にSもぎがあり、いよいよ夏の総決算を迎える時期となりました。思うように勉強がはかどらず、焦りや苛立ちを感じ、「こんな勉強、意味あるの?無駄じゃないの?」と考え出している人もいるかもしれません。‥‥かくいう私もそういうことを思ったことがありました。

で、それから自分なりの答えを持つことを模索してます。今も答えを探しています。考え続けてから答えは一定ではなくその時その時で変わってきているのですが、今は「意味あるものにするかしないか、無駄にするかしないかは自分次第」と考えています。結局、自分の人生。勉強すること、したことを経験と考えれば、経験を生かすも殺すも自分次第。苦労して勉強して知ったこと、出来るようになたことを「無駄」の一言で切り捨ててしまうのはもったいない。何かのタイミングで生かせるように今は貯めておこう、知ってて損はない。っていう心境なのです。根が貧乏性なのかもしれません。

「何のために勉強するか」の答えは一つではなく、一度出た答えに拘る必要もない。社会的視点から見て極悪非道でなければ、誰からも反対されることはない。だから出した答えはいつでも全て正解。公序良俗の範囲内で自由に考え、何らかの答えを自分で持っていることが大切なのだと思います。「意味ある?無駄じゃない?」と考えていたら、それは「自分の答えを考え出す入口」に立ったのと同じ。是非その入り口をくぐって答え探しの探検に出かけてみて下さい。気負うことはありません。すぐに答えを出す必要もありません。自分のペースで考えていけばいいのです。

約220年前のドイツに同じような考えを持った人がいました。その一部を引用して今日は終わりにしたいと思います。探検のガイドブックにしてください。「我々が学問を学ぶのは、試験に備えて学んだことをそのまま言えるようにしておくためではない。学んだことを人生の来たるべき場面に応用するためであり、究極の目標は単なる知識ではなくて、むしろ知識を駆使する技法が大事だ。」  ヨハン・ゴットリーブ・フィヒテ。

(名誉のために言っておきますが、この言葉に出会ったから自分の答えが出たのではなく、答えを持った後に読んだ本の中に出てきた言葉です。電車の中で本を読み「フィヒテと並んだか?」と感じ、一人どや顔でほくそ笑む。そんな小さな自分がいることは否めません。ふふふっ)

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