こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
勉強への意識の量について、それは「各家庭の学習方針」に大きく依存するという事です。
学習方針とは、「何のために、誰のために勉強が必要なのか」という方針です。その方針が子供の勉強への意識に大きく影響します。
例えば「グローバル社会だから英語を勉強しなさい」と親は言います。しかし、日常的に英語を使うかと言うと、そうではありません。英語を好きになる子、英語を必要とする子には「英語が心地よく聞こえる」という事が起きます。また、アルファベットに抵抗感を持ちません。そして、なにより「英語をもっと知りたい」という向上心を持っています。
それを親が「そうしろ」と言っても「なんで?」と思うのは当然の事です。なぜなら「必要性や目的」を感覚的に味わう事がないからです。
つまり「親の欲や期待を子供は解消が出来ない」という事です。イメージが伝わりますでしょうか?
頭ではわかっている。でもつい言いたくなるし期待もしてしまうという親は多いと思います。しかし、冷静になって考えて頂きたいのですが「誰の為ですか?」という事です。
それがもし我が子の為であるならば、その提案自体を「楽しむ」と思います。もし楽しんでいないのであればボタンの掛け違いが起きています。
子供は素直ですから親のいう事を基本的に聞きます。それが「我慢をしてでも」です。その我慢が出来なくなった時、親のいう事を聞かなくなります。そういった子を持つ親は口をそろえて言います。「小さいときは素直でいい子だったのに」ですね。
では、勉強への意識の量をどのように上げていくのかと言うと「千の方法を持ち、万の提案をする」という事です。具体的に言うと「失敗しても責めない」そして「合わなかったら次の策を考える」。もっと言うと「合わない可能性を前提として次の策を用意している」という事です。イメージが伝わりますでしょうか。
これが「当たり前」だという事を感覚的に理解が出来ている親と言うのはとても素晴らしいと思います。