こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
何が言いたいのかと申しますと、「責任転嫁」が起きているという事です。なぜなら主語が「私(親)」になっている時点で、自分の事を考えています。
我が子を想う、つまり主語が「あなた」になっている場合であれば、そもそも酷評をするような事態にはなりません。
主語が「あなた」になっている場合、「その点数を見てあなたはどう思うの?どうしたいの?」が第一声に出るはずです。
つまり、「心配することが愛である」と勘違いしている親がいるという事です。
余談になりますが、子供と言うのは基本的に親の事が好きです。なぜなら好きでないと生きていけないからです。これは生存本能によるものであります。
やがて成長期を迎え、反抗期を迎える訳ですが、いくら言う事を聞かなくても反抗的な態度を取っていても、親の事が好きである事には変わりありません。
その反抗期を親がどのように乗り越えるのか。ここが問題であります。
このことに正解と言うのはありません。ある人は「菩薩の様な心で向き合いましょう」と言いますが、そんなことは無理なのです。
人間は菩薩ではありません。イライラもしますしむかついたりもします。しかし、それでも尚我が子を想う愛が上回った時、反抗期を抜け、お互いが自立をした新たな親子関係が出来上がるのだと、私は思っています。
反抗期とは「神事」です。子供も親もお互いが成長をする絶好の機会なのです。
このお話は後日、長編にて公開をさせて頂きます。とても深く必要なお話です。
話を戻しますが、テストの点数について。数字に意味はないと申しましたが、実はさらにその奥にその点数を取ってきた原因があります。
次回に続きます。