【ドイツ】
普仏戦争で
あのナポレオン3世を撃破した、
ドイツ帝国の初代首相・ビスマルク。
日本の初代首相・伊藤博文も
憧れた辣腕です。
彼は、フランスを孤立させるための
巧みな外交手腕を発揮します。
しかしビスマルクの庇護者であった
皇帝・ヴィルヘルム1世が亡くなり
ヴィルヘルム2世が皇帝になると、
彼は意見が合わないビスマルクを罷免、
3B政策(ベルリン・ビザンティウム・
バクダード)など
積極的な海外進出政策を進め、
今度は逆にドイツが
国際的に孤立してしまいます…。
【フランス】
ナポレオン3世は
ビスマルクのプロイセンに敗れ失脚、
パリ=コミューン(社会主義政権)
を経て、第3共和政がスタートします。
ビスマルクにより一時孤立しますが、
ビスマルク失脚後、
「露仏同盟」「英仏協商」で
国際舞台に返り咲きました。
フランスにとってのライバルは、
イギリスやハプスブルク家から、
ドイツになります。
【イギリス】
19世紀末、
覇権をアメリカに奪われますが、
なおイギリスは世界の強国です。
ドイツの3B政策には、
3C政策で対抗。
カイロ・ケープタウン・カルカッタ。
ついに「栄光ある孤立」を破り、
大英帝国初の同盟である
「日英同盟」を締結。
日露戦争後は、
ロシアとも協商、フランスも加え、
三国協商を成立させました。
【オーストリア】
プロイセンの統一ドイツから排除され、
元々多民族国家だったオーストリアは、
「オーストリア=ハンガリー」
という二重帝国になります。
バルカン半島でロシアに対抗するため、
ドイツ・イタリアと三国同盟を締結。
さて、
オーストリア(親ドイツ・ゲルマン系)
の帝位継承者が、
セルビア人(親ロシア・スラヴ系)
に殺害されるという大事件が勃発、
オーストリアがセルビアに宣戦布告、
オーストリアのバックでドイツが、
セルビアのバックでロシアが参戦、
ここに第1次世界大戦の火ぶたが
切って落とされました。
【WWⅠ】
オスマン帝国は
ロシアに対抗するため同盟国側で参戦。
イタリアは
「未回収のイタリア」問題で
協商(連合国)側に寝返りました。
かつての戦争と違い、
「世界大戦」「総力戦」「長期戦」。
ドイツは
西部戦線で対フランス、
東部戦線で対ロシア、
の挟撃に苦しみ、
「無制限潜水艦作戦」を開始、
ついに最強国アメリカが参戦、
同盟国側の敗北で終戦となります。
オスマン帝国は崩壊しトルコ共和国へ、
ドイツ帝国も崩壊しドイツ共和国へ、
オーストリア帝国も崩壊し
ハプスブルク家の支配も終わります。
【ロシア革命】
WWⅠの最中、
ロシアで革命が勃発します。
二月革命で皇帝が退位、
約300年続いたロマノフ朝が終焉。
十月革命でレーニンが
「平和に関する布告」
「土地に関する布告」を発表、
世界初の社会主義国家
「ソビエト社会主義共和国連邦」爆誕。
権力はのちレーニンからスターリンへ、
そしてスターリンは恐怖の大粛清を行う
独裁者として君臨します。
【ヴェルサイユ体制】
パリ講和会議、ヴェルサイユ条約。
ドイツは特にフランスに、
ボコボコに制裁を受けます。
「アルザス・ロレーヌ地方」は
フランスに戻されます。
独立を回復したポーランドに
一部領土を取られます。
天文学的な賠償金を課され
経済が破綻します。
ここにナチスのヒトラーが、
救世主として台頭してきます…。
【パレスチナ】
WWⅠを優位に進めたいイギリスが、
悪名高い「三枚舌外交」を展開します。
対アラブ人には
「フサイン=マクマホン協定」で
オスマン帝国からの独立を承認。
対ユダヤ人には
「バルフォア宣言」で
パレスチナに国家建設を承認。
対フランス・ロシアには
「サイクス=ピコ協定」で
アラブ人地域の分捕り合いを確認。
これらが現在のパレスチナ問題の
遠因になってしまいます…。
【中国】
第1次世界大戦中に、
日本が「対華21カ条の要求」
という無理難題を中国に突き付けます。
これが中国人の反日感情に火をつけ、
「五・四運動」が巻き起こります。
日露戦争後日本に併合された朝鮮でも、
同じく反日運動である
「三・一運動」が巻き起こります。
辛亥革命を起こし
中華民国を建国した孫文は
国民党を結成、後継者は蒋介石。
対抗勢力として陳独秀が
共産党を結成、後継者は毛沢東。
【ワシントン体制】
ウィルソンがレーニンに対抗し、
「14カ条の平和原則」を発表、
平和を希求し「国際連盟」を設立も、
アメリカの伝統「孤立主義」により、
アメリカ自身は参加しませんでした。
また、日清戦争・日露戦争・WWⅠに
3連勝した日本に対する
アメリカの警戒が日増しに高まります。
そして「ストップ・ザ・日本」
のためワシントン会議が開催されます。
まずは海軍軍拡が制限されます。
4か国条約では
太平洋の現状維持が志向され
日英同盟が破棄されます。
9か国条約では
中国問題が議論され
日本は多くの中国権益を失います。