教室ブログ

2023.07.09

【世界史】【ストーリー⑦中世ヨーロッパ】

【中世ヨーロッパとは】

「中世ヨーロッパ」とは、

そのまま「ビザンツ帝国」

(=中世ローマ帝国)

(=東ローマ帝国)

(=古代ローマ帝国の分裂した東側)

(=西側はゲルマン人により滅亡)

の歴史です。

だいたい5世紀から15世紀までの

約1000年間。

 

【カールの戴冠】

キリスト教内部の対立が激化します。

西ヨーロッパ(元・西ローマ帝国)は、

ローマ教会

(カトリック、ローマ教皇)。

東ヨーロッパ(東ローマ帝国)は、

コンスタンティノープル教会

(ギリシア正教、総主教)。

西ローマ帝国を滅ぼした

ゲルマン人の一派であるフランク人が、

今のフランス・イタリア・ドイツ辺りに

「フランク王国」を建国。

ビザンツ帝国に対抗したい

ローマ教皇(西ヨーロッパ)が、

フランク王国のカール大帝に

「ローマ皇帝」の冠を授け、

西ローマ帝国を復活させます。

ローマ+ゲルマン人+キリスト教

=西ヨーロッパ世界の源流が出来ます。

 

【神聖ローマ帝国誕生】

カール大帝亡き後フランク王国は

西・中・東の3つに分裂、

現在のフランス・イタリア・ドイツの

源流が出来上がります。

その東フランクのオットー1世が、

同じくローマ教皇から戴冠、

「神聖ローマ帝国」が爆誕します。

 

【第2次民族大移動】

5世紀に起こったゲルマン人の大移動。

8世紀、同じゲルマン人の一派である

「ノルマン人」が北欧から侵入。

デンマーク・イギリス・ロシア

などの源流を作ります。

 

【十字軍】

イスラーム勢力のセルジューク朝が

ビザンツ帝国を圧迫、

ビザンツ皇帝がローマ教皇に

「同じキリスト教じゃん!」とSOS、

ローマ教皇は援軍の派遣を決定、

これが「十字軍」と呼ばれるものです。

合計7回派遣されますが、結論、失敗。

かつて「教皇は太陽、皇帝は月」

と絶頂を誇った教皇の権威が失墜、

度重なる戦争の中で諸侯の力も減退、

代わって国王の権力が伸長しました。

 

【イギリス立憲君主制】

ジョン王というダメな王様がいました。

貴族は「マグナ=カルタ」を突き付け、

国王が課税する際には

貴族の承認が必要になりました。

のちに議会も開かれ、

「立憲君主制」の礎が出来ました。

 

【英仏100年戦争】

大陸内の領土をめぐる英仏の対立です。

イギリス優位に進みましたが、

「神の子」ジャンヌ=ダルクが登場、

フランスが逆転勝利。

大陸からイギリス勢力を

ほぼ駆逐することに成功します。

そして英仏ともに諸侯が没落、

国王が伸長し「絶対王政」の時代へ。

 

【ハプスブルク家の台頭】

神聖ローマ帝国は

「ローマ」と名乗っている以上、

イタリアに介入を続け、

肝心の本国(現在のドイツ周辺)は

分裂状態(連邦分権)が続きました。

そこに「ハプスブルク家」と呼ばれる

名門貴族一家が台頭、

のちに神聖ローマ皇帝の座を

独占するようになります。

 

【レコンキスタ】

イベリア半島

(スペイン・ポルトガルのこと)は

なんと8世紀から15世紀まで、

イスラーム勢力下でした。

1492年にようやく

キリスト教徒が国土を奪還、

これは「レコンキスタ」と呼ばれます。

そしてスペイン・ポルトガルは、

大航海へ乗り出すことになります。

 

【ビザンツ滅亡とオスマン躍進】

イスラーム勢力のオスマン帝国により

ビザンツ帝国が滅亡、

ついにヨーロッパ中世が終わります。

ビザンツ帝国の首都であった

コンスタンティノープルは、

イスタンブールと名前を変え

オスマン帝国の首都となりました。

オスマン帝国は

スレイマン1世の下で最盛期を迎え、

「第1次ウィーン包囲」で西欧に勝利、

地中海の制海権を獲得します。

 

【ルネサンス】

オスマン帝国に滅ぼされた

ビザンツ帝国の文化人が

イタリアに避難し

ルネサンスが開花します。

「古代ギリシア・ローマの復興」

「神から人間へ」がテーマです。

「万能人」と呼ばれた

「レオナルド=ダ=ヴィンチ」や、

劇作家「シェイクスピア」、

政治哲学者「マキャヴェリ」、

地動説の「コペルニクス」、

などが有名です。

さあ時代はいよいよ近世へ、

世界の一体化へ!!

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