オリエントでは
アケメネス朝ペルシアが専制政。
ギリシアではポリスが民主政。
そしてローマでは
「共和政」が誕生しました。
平民が重装歩兵により戦争に参加、
参政権を得ていく過程は
アテネ同様ですが、
ローマではアテネより
貴族の力が強く(元老院など)、
アテネほどの民主政には
なりませんでした。
イタリア半島を統一したローマは、
フェニキア人の植民地である
カルタゴ(猛将ハンニバル)との
ポエニ戦争で勝利、
地中海世界の覇者となります。
その後伝説的英雄カエサルが
独裁を展開するも暗殺されます
(第1回3頭政治)。
その後カエサルの養子である
オクタウィアヌスが
事実上の帝政(元首政)を開始します
(第2回3頭政治)。
その後ローマは
「パクス=ロマーナ」
「全ての道はローマに通ず」
と言われる全盛期を迎えます。
しかしここからローマは斜陽に。
北はゲルマン人、
東はササン朝ペルシア
(パルティアの後継国家)
の脅威に晒されます。
各地に軍人皇帝が乱立。
ディオクレティアヌス帝は
専制君主政(皇帝崇拝強要)を開始。
コンスタンティヌス帝は
キリスト教を公認し、
帝国存続に利用しようとしました。
首都もローマから
ビザンティウムに移し、
自らの名前を冠し、
コンスタンティノープルと改称しました。
テオドシウス帝の死後、
帝国は東西に分裂。
西ローマ帝国は
ゲルマン人により滅亡。
東ローマ帝国は
ローマとはほぼ無縁になりギリシア化、
コンスタンティノープルを首都とし、
ビザンツ帝国として1000年続きます。