こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
前回より指導する側の心得と優秀な指導者についてお話いたしました。
ここで少し視点を変えたいと思います。
今まではずっと「指導する側」の視点でお話をしましたが、いかがでしょう?
一見すると「私はまだ新入社員だから指導力とは縁もゆかりもない」と思いますか?
「私は学生だから先生から指導されるのが当たり前だ。そういう身分なんだ」と思いますでしょうか?
視点を変えてみましょう。今までのお話を「指導する力」から「指導される力」に変えてみて下さい。
指導される力とは「知らないことを教えて頂いてありがとうございます」という事です。
2000年以降、「指導力」や「指導する力」についてばかり取り沙汰されています。これは時代の流れであって当然の事です。
2000年以前は「1+1=2」だけ出来ていれば〇をもらえました。なぜなら「ある一定のフォーマット」があったからです。逆に言うとそれを逸脱すると注意をされた時代です。オリジナルを持つことは良くないと考えられた」時代でした。
やがてフォーマット通りにはならないことに気付いたのが2000年以降です。やがて時代は「指導者」を求めだし始めました。
コーチングやコンサルティング業が目立ち始めたのもこの時代です。
ずっとずっと「指導する側の観点」に注目が集まっていましたが、約20年以上が経過した現代は「指導される側の力」が大切であると私は思っています。
例えば指導者から「○○の様にやっておいて」と指導されますよね?そして素直に実行し、あるウィークポイントに気付いたとします。そこで「昨日教わった〇〇ですが、△△のようにすると効率が良かったのですが、この方法でもいいですか?」と自分で考え、提案をし、より良い状態にブラッシュアップしてお返しする。その精神が大切であるという事です。
それに対して「その方法はいいね!僕も思いつかなかったよ。今後それでいこう。他のメンバーにも共有してくれる?」なんてポジティブに捉え、改善できる指導者と言うのは優秀な指導者であると思います。
もし、その時指導者から「そんな無駄なこと考える前に他の仕事しろよ」なんて言う事を言われた場合、その指導者は変えた方がいいでしょう。あなたの目的は「今の状態をより良い状態にしたい」という気持ちだと思います。その気持ちを受け入れず「俺のいう事が正しいんだ」と思っている指導者は「化石」だと思って下さい。
次回に続きます。