We neither strive for, nor will, neither want, nor desire anything because we judge it to be good; on the contrary, we judge something to be good because we strive for it, will it, want it, and desire it.
「我々は、あるものがいいと判断するから、それを求める〔努力・意欲・衝動・欲望〕のではない。反対に、我々はあるものを求めているからこそ、それがいいと判断するのである。」(Spinoza)
駅前校からです。上の文章で使われている相関表現neither~norは分かりましたか。
6月も間近であり塾生の進路面談ももうすぐ始まります。いつものことなんですが、高校生は将来何をやりたいかで迷っているように見受けられます。ただやりたいことが見つからない、迷うというのは当たり前のことで、人間にはモラトリアムがあります。動物みたいにやることが本性的に決められているわけじゃなくて、そのモラトリアムが人間の本質みたいなところはあるかと思われます。モラトリアムというのは執行猶予、決断猶予ということでして、大学生になってもそれ以降も続くようです。※ちなみにモラトリアム人間を英語で説明すればyoung person who does not want to become an adult となります。
ただ、悩むにしてもそれにふさわしい能力が必要だと思います。周囲の意見はほどほどに、自分の選択肢のうちで相対的に好ましいことをやってみたりその場に足を踏み入れてみたりすることも大事だと思います。そうすれば経験や技能に裏打ちされた考える能力もついてくるはずです。勿論、高校生の場合だと英語や数学や化学といった具体的な科目の習得が技能の一つに該当するでしょう。要するにあっという間に年を取ってなかなか身につけるのも困難になるから、若いうちにそれらの勉強に打ち込んで1つでも習得しておけということです。
本日は以上です。