こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
「勉強をしない」という「覚悟」をしたとき、どのような人生になるのでしょうか。
結論から言うと「全てが未経験の状態で、かつ人生を掛けた勉強」をする事となります。
その勉強は数学や国語、英語とは違う「人生の学び」です。
例えばお金の稼ぎ方は就職だけじゃないという事を学びます。人間関係を築くにはどのように人と向き合えばよいのか、自分と向き合えばよいのかを学びます。
「覚悟」を持った時、人は自分と向き合い人に頼り、全てが学びとなりますから、かくも人生を楽しめるようになります。
ただし、その道は「いばらの道」であり「未開の辺境地」だと思って下さい。本来であれば人から学び、自分から学び、たくさんの勉強をして社会に出ますよね。
ところが「勉強をしない覚悟」をしたという事は全てが未経験でかつ、他人の歩んだ道は参考になりませんから、とても過酷な人生になる事は想像に容易いと思います。
それ自体を「楽しめる」様な大きな器を持つ必要があります。いばらの道でどれだけ体を傷つけられようが、未開の地で遭難をしようが、誰も助けてはくれません。
なぜなら「そのような道を歩んだ人はいない」からです。誰も知らないような道を歩んでいるわけですから、助けようがありませんよね?
それ自体が悪いとは申しません。むしろ素晴らしいとさえ思います。その「覚悟」をしてその道を「自らの意思」で歩んでいるわけですから、誰が何と言おうがその道、その人生を歩めばいいのです。
しかし、その道を歩むからには、他人に迷惑を掛けてはなりません。すべてが自己責任であり全てを自己解決しなければなりません。親であろうが、先生であろうが、友人、パートナーでさえも、あなたが選んだ道によって「被害・迷惑」をかけてはならないのです。それが「覚悟」というモノであり、それが自分で選んだ人生なのです。
しかし、その「覚悟」が出来ない故「学校の勉強もしたくない、でもその覚悟も持てない」と言う状態が続き、結局「体で覚える」という事をし続けてしまう人が多いという事です。
みんな「中途半端」だから「体で覚える」という事をしなければならなくなるのです。
何事にも「覚悟」をもってすれば、その先の道はかくも簡単で楽な道になるのです。
「覚悟」のお話はまた別の機会に詳しくお話をしようと思います。
「体で覚える」というお話はなんとなくお伝え出来ましたでしょうか。
もし、人生がうまくいかない。勉強も仕事もなんだか思うようにいかないとお思いの方は「体で覚える」という事をしていないか、よくよく考えてください。
自分一人で解決できない問題は人に頼りましょう。現代はインターネットと言う便利なツールもあります。「勉強したくない・仕事をしたくない」で止まっている時は必ず「体で覚える」という事をしてしまっています。
それ自体が無駄な事だとは思いません。しかし「未来は向こうから勝手にやって来る」という事をどうか忘れないで下さい。
参考になりましたら幸いです。
ありがとうございました。