こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
以下は余談なのですが、私もたまに講師として授業に出る事があるのですが、生徒と接するとき絶対に叱りません。必要ないからです。彼らは「知らない」だけだからです。知らないことは悪ではありません。
人には言葉があります。波動があります。思考できます。
その人間だけが持つコミュニケーションを駆使し、生徒と接しています。
先日あった話ですが、中2の生徒が居りまして成績がなかなか上がらないと、そもそも勉強をする気にならないという相談を受けたことがあります。
そこで私は「行きたい学校とかはないの?」と聞きました。すると「制服がかわいくてパソコンが学べる学校が良い」という答えがありました。私は「それは本当に素晴らしい事だと思うよ!」と答えました。
本人の深層心理はこうです。何がわからないのかもわからない、子供故言語化できない。しかし「心」は何をしたいのか知っています。
私は志望校の事だけを聞きました。すると本人からパソコンと制服と言うワードが出ました。そしてまず「今、持っているスマホで「奈良 高校受験 パソコン」で検索してみな?いっぱい出て来るよ。それが出来て興味のある学校が見つかったら公式HPに飛んでみるといいよ。制服の写真や受験方法なんかが見られるからね」というお話をしました。
すると、その生徒の心の霧が少し晴れる音が聞こえた気がしました。
つまり、本人は「知らない」だけなんですね。もしかすると学校の先生や私以外の周りの大人が同じような話をしていたかもしれません。ところが本人の心に届くような言葉や態度で接していなかったのかもしれません。
するとその生徒は「一度お母さんと話してみようかな。友達にも聞いてみようかな」と自分からこうしたいああしたいと、どんどん思考や感情が湧き上がってきました。
私は「スマホでこう調べたらいいよ?」という方法しか話していません。
それを知り、やってみるとどんどん次やりたいことが湧き上がってきます。人間とはこういった動物なのです。
この様なコミュニケーションはテクニックではできません。「そういう人」にならなければなりません。別に私がすごいのではありません。そういう事に興味があるから勉強をしただけです。
そしてこの一件で私も勉強になりました。生徒に育ててもらいました。その子には今も感謝しています。人の心とは本当に複雑に出来ています。それゆえ「言葉」を使い、相手を脅かすことも出来れば、相手を救う事も出来るのが人間です。
本題よりかなりかなり逸れてしまいましたが、話を戻せそうもないので一旦ここで終わらせていただきます。とは言え、「出る杭を伸ばす」とは何たるか、少しはお伝え出来たと思っています。
2000年より以前の時代感では「出る杭は打たれる」と言う概念が正しかったのです。
ところが、2000年以降は「出る杭を伸ばす」思考や価値観が求められています。
散々言い続けていますが「時代によって価値観や考え方は変わり続ける」という事です。その事を知ってか知らずか今までの価値観に縋りつく人が居ます。
なぜなら「怖いから」です。人は慣れ親しんだ思考、行動、価値観を失うのが怖いのです。
ところが、一度手放した時、世界が違って見えます。
ありがとうございました。