【森喜朗】(自由民主党)
小渕首相が突然の病に倒れ
後釜に据わったのは、
清和会(岸信介・福田赳夫の系譜)
の領袖である森喜朗です。
しかし国民の声を無視した
「密室談合」で決まった総理であると、
就任当初から不人気でした。
その後も失言が多く、
「蜃気楼内閣」
(ゆらゆら消えゆきそうな内閣)
と揶揄されました。
この内閣では、
いわゆる「加藤の乱」が起きました。
加藤紘一は、
山崎拓・小泉純一郎とともに
「YKK」と言われる
「反経世会」(反自民党主流派)
の急先鋒のひとり、
および次期首相候補の筆頭です。
国民に不人気であった森喜朗への
内閣不信任案に乗じようとしましたが、
盟友の小泉純一郎(清和会会長)と、
当時の自民党の
最高権力者・野中広務に切り崩され、
宏池会は分裂、
加藤自身の
総理大臣の芽も潰えました。