【宮澤喜一】(自由民主党)
自民党の保守本流と言われる、
吉田茂&池田勇人の流れを汲む、
「宏池会」の宮沢が組閣しました。
PKO法案
(国連平和活維持活動協力法)が成立、
自衛隊の海外派遣が可能になりました。
最初に派遣されたのはカンボジアです。
宏池会は「ハト派」「護憲」なのに…。
そしていよいよ
「バブル(平成)景気」の泡がはじけ、
「失われた30年」が始まります。
その遠因は
中曽根政権の「プラザ合意」です。
その「バブル」、簡単に説明すると。
「円安ドル高」で
日本は輸出で儲け過ぎ
↓
それがアメリカの不興を買い
↓
「プラザ合意」で
「円高ドル安」に強制修正され
輸出不振(不況)となった
↓
政府はみんながお金を借りやすいように
公定歩合を引き下げた
↓
みんなバンバンお金を借りて
不動産や株式を買い漁り
土地や株の価格が
実体以上に跳ね上がっちゃった
↓
焦った政府は公定歩合を引き上げた
↓
お金を借りにくくなった
みんなの投資欲は一気に冷め
土地や株の価格は急落
↓
調子に乗って借りまくったお金を
みんな返せなくなった
こんな感じです。
野党提出の内閣不信任案が、
身内自民党の羽田派(小沢一郎軍団)
のまさかの賛成により可決され、
宮澤はその後の総選挙で大敗し退陣。
「自民党の徳川慶喜」
と揶揄されました。