【田中義一】(政友会)
~一転、強硬外交で中国進出~
・立憲政友会総裁:田中義一
⇒山県(陸軍・長州閥)直系最後の大物
(山県⇒桂⇒寺内⇒田中)
・金融恐慌収束
⇒蔵相・高橋是清のモラトリアム
・積極外交(強硬外交)
⇒首相・田中が外相も兼務
⇒憲政会の幣原の協調外交から転換
・山東出兵
⇒蒋介石の北伐に干渉
⇒満州に権益を持つ日本には不都合
⇒張作霖爆殺事件(満州某重大事件)
⇒テロ嫌いの天皇の逆鱗に触れ田中退陣
田中は天皇に更迭されました。
次の内閣は、
憲政会が政友本党を飲み込んで拡大した
立憲民政党の内閣です。
わずか10年ほどですが、
1920年~30年くらいの日本は、
政友会と民政党が競い合い政権を担う、
日本史において唯一と言ってもいい
「2大政党」時代でした。