こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
教室の生徒に関しても、全員を尊敬しています。テストで悪い点数を取ろうが、挨拶を返してくれなくても、ぶっきらぼうな態度だったとしても「尊敬」しています。
年下の講師に関しても、たまに雑な言葉遣いになろうが、遅刻ギリギリに来ようが、ミスをしようが「尊敬」しています。
もちろん生徒が勉強を本気で頑張っている姿を見ては尊敬しますし、講師が熱意ある授業をしてくれている姿を見ても尊敬します。
何が言いたいのかと申しますと「尊敬するのに条件は必要がない」という事です。
人間とは物質的な事柄や目に見える何かしらを評価しますが、そうではありません。
目に見えない概念的なモノや目に見えない功績に「気付く」こと。そしてそれ自体にすら善し悪しを付けずに「尊敬」するという事です。
生徒がいるだけで尊敬しますし、講師が教室に来てくれるだけで尊敬し、尊重します。
これって、別に特別な事ではありません。もちろん皆さんにも出来ます。
と言いますか、本来人間関係はそのように出来ているのです。
しかし、人間には「我」があります。心にもやがかかっている。または世界をサングラスをかけた状態で見ている。そのサングラスは全員が違うサングラスをかけていますから、優劣を付けたり、善し悪しを判断してしまいます。
そのサングラスを外したとき、人は誰に対しても個人的な評価をせず「尊敬」するようになります。それが本来なのです。
いかがでしょうか。もしかしたらもっとわかりやすいテクニック的な何かしらを期待していたのであればすみません。
しかし、人間関係においてテクニックを用いるのは、私は好きではありません。
テクニックとは「相手をコントロールする」と同義だからです。自分を変える事は出来ますが、人を変える事は絶対できません。
自分の機嫌は自分で取るしかありませんし、相手の機嫌は相手が取るしかないのです。
その境界を踏み越えると、人は困るように出来ています。
とはいえ、新しい人間関係を作るのは、かくも難しいものであります。警戒もしますし猜疑心に苛まれることもあるでしょう。
人間関係の本質は「尊敬」であり、そして「仲間」であるという事です。その事を真に理解できた時、「良い人」が集まります。
どうか怖がらずに、楽しい人間関係を築いてくださいね。応援しています。
ありがとうございました。