こんにちは。WAM黒原校のメタボリック米井です。
肌をふわりと触っては逃げていく風も温もりを帯び、街なかの桜たちが淡紅色に体を着飾っては人々の目を楽しませてくれるようになりました。
そう!いよいよ新学期となる春ですね。
念願かなって志望校に合格できた方や、悔し涙で辛い思いをされた方もいらっしゃるかと思います。
そんなこんなで今回はちょっと真面目なテーマでお話しようかと思います。
恥ずかしながら私の失敗談をもとに、受験勉強で得られるものについて、そして人生とは…といったところでしょうか。
まずはお話させて頂くにあたり、大前提としてご注意頂きたい点がございます。
何分もう40年近く前のことで、私個人のあやふやな記憶をもとにしますので、色々と正確ではない情報が混ざっているかと思いますが、ご容赦下さい。
それでは私の少年時代からについてですが、小学3年生のころから浜学園の伊丹教室という塾に通っておりました。
確か二ヶ月に一回くらいのペースで公開テストというものを全生徒が受け、成績順にSクラスHクラスAクラスBクラスと学力順にクラスを振りわけるといったシステム(細かく言うと本館ではS1S2S3と更に分かれます)だったのを記憶しております。
本館は西宮にあり、伊丹教室ではHクラスまでしかなく、私はHクラスに所属しておりました。
何度か本館からSクラスに来るようにといったお手紙を頂いたのですが、都度断っておりました。(だって小学生の感覚からすると遠いんだもん。。。)
また普段の授業とは別で、普段通っている各教室の垣根を超えた特別特訓コースというのが本館でのみ行われており、公開テスト上位50名ほどが最高レベルクラス(通称最レベと言っておりました)次点の100位までがハイレベルクラス(通称ハイレベ)だったかと思います。
このハイレベに私は特訓コースとしてたまに西宮の本館に通っていたのを覚えています。
私は俗に言う団塊ジュニアという第二次ベビーブーム世代ですので、公開テストの人数はたしか4千人くらいいたような気がします。
偏差値でいうと最レベが偏差値70以上ハイレベが70弱くらいな体感です。
ここまででお気づきかと思いますが、何が言いたいかといいますと…そう!私実はわりと優秀だったんです!!(笑)
しかし、中学受験で第一志望は不合格でした!!
その後、当時まだ新設校だった履正社学園豊中中学というところに通うこととなったのですが、新設校だったため、灘や甲陽といった難関私立の受験に失敗した生徒を集めようという戦略で受験日が別日で設定されており、不合格だった私にもご縁があったわけです。
今思えば、全員志望校に落ちた生徒ばかりとはいえ、かなり優秀でした。
駿台模試や五木模試で順位が一桁代の生徒が2.3人いたのを覚えてます。(1学年2クラスで総勢70人ほどの小規模な学校でした)
ちなみに私は、西宮にある関西志学館というかなり少数精鋭(生徒数30名ほど)の塾に通い、学校内の位置づけでいうと中程度といったところです。
学校内で中程度とはいえ、それでも駿台模試では成績優秀者として一覧にのる程度の学力はありましたし、3教科選択の私立高校なら全国どこを受けても受かる(岡山白陵高校の試験では数学は満点だったそうで、滑り止めとして早稲田本庄という高校を受けた感じの学力です)と言われておりました。
ですので、当時のうちらの学年はちょっと異常なくらい優秀な生徒の集団だったかと思います。
おそらく、この中学期が私の中で最も学力が高かった頃なのではないでしょうか。
ここまでくると、単なる自慢話に取られてしまいそうなのですが、結局何が言いたいかといいますと…そう!私実はわりと優秀だったんです!!(二回目)
そしてこの流れからお察しの通り、高校受験では見事第一志望不合格です!!
こうして中学・高校と立て続けで受験に失敗した米井少年の高校生活はといいますと…そう!睡眠第一主義!!
授業を起きて受けていた記憶がございません!寝る子はよく育つ!!
はい。高校になってからは全く勉強しませんでした(苦笑)。
それでも恐ろしいもので、昔取った杵柄(中学生のころからすでに大学受験レベルの問題集をこなしていたおかげ)とでもいいましょうか、高校2年の夏頃は名古屋大学農学部の合否判定は河合模試でB判定くらいでした。
それがまた余計に米井少年の「勉強しなくてもいけるやん」に拍車をかけてしまったんですねぇ。
そのまま無勉強で高校3年間を過ごし、大学受験の結果はというと・・・
そう!当たり前のように不合格!!
ただ、当時センター試験の結果を郵送するだけで合格できる制度があったため、なんとか地方の国立大学には合格することができました。
中学時代に勉強したおかげ以外のなにものでもないです。高いお月謝を払ってでも塾に通わせてくれた両親に本当に感謝ですね。
もちろん受験は合格するにこしたことはないのですが、結局のところ、受験というのは長い人生において、一つのイベントといいますか単なる節目でしかないということですね。
それでは突然ですが、ここで一句…
合否判定 数年すれば ただの思い出
そして、勉強したというまぎれもない事実は必ず自分の身に宿り、その努力は決して裏切らないということです。
ちなみにこの中学における塾の志学館仲間や学校の履正社仲間とは、毎年一度は必ず会うほどの何十年にも渡る付き合いです。
私にとっては、共に嵐のような受験戦争の日々を駆け抜けた、かけがえの無い戦友であり唯一無二の親友たちです。
ですので、この4月から皆さんも新しいクラスメイトと共に過ごすことになるかと思いますが、一生の宝となる友人と出会えるかもですよ。
そんな中で人付き合いのコツについて私見を述べますと、人間関係は鏡です。
自分が笑えば相手も笑い、自分が気を使えば相手も気を使います。
まずは自分から心を開いて、笑顔いっぱいで気持ちの良い挨拶から心がけてみてはいかがでしょうか。
その先にはきっと素敵な出会いが待っているかもしれませんよ。
⇐本日のまろすけ殿「うにゃぁ」