こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
この様な概念や考え方は昔からされてきました。心理学者や哲学者が散々このことを説き、言葉にしてきましたが、人間社会には一向に浸透しませんでした。しかし、ほんのわずかではありますが、日常に落ちてきているという感覚はあります。
まず、子供たちが話す会話が違います。とても深く概念的なことに気付いているような話をしてくれています。まだ子供故、表現力や言語化能力に乏しい所はありますが、私が当時子供だった頃と比べると、確実に進化している事がわかります。
ある子は「何故勉強がこんなにもしんどいのか」について深く考えていました。勉強が辛い、でも楽しい事もわかっている、その矛盾を取り扱おうとしているのです。
このことに気付かされた我々は、その問題を解決してあげねばなりません。しかしその具体的な方法は「ありません」。何故なら、人によって課題・解決方法が違うからです。だから我々がして差し上げられる事は「気付くための教え」を解くという事だけです。
一見薄情なように見えるかもしれませんが、これまでの内容を読んで下さった方は「そう言うモノ」だという事を理解して頂けると思います。
日本人は1億2000万人いますので、解決方法は1億2000万通りあるという事です。
世界で言うと70億~80億通りの問題解決方法を見出さないといけないという事です。
それは果てしない数字だと思いますが、大事のように捉えないでください。一人の人間が70億通りの解決策を見出すことは絶対無理です。しかし、「自分で自分の問題を解決する」言い方を変えると「自分の機嫌は自分で取る」という事を成したとき、世界が変わるという事ですね。
今回は、とてもとても深く、概念的な目に見えないお話をしました。もし、こういうお話が好きな方は是非取り組んでみてくださいね。
ありがとうございました。