こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
何か秀でているからすごい、じゃあ秀でていないとすごくないの?と言うと恐らくみんな言葉では「そうじゃない」と言います。
しかし、無意識・潜在意識では「秀でている方がすごい」と思っています。私も100%感覚的に理解が出来ているかと言うと、そうではありません。
モノの見方のお話です。イメージをお伝えすると私たちは緩急のついていない同じ平地を歩いています。中には速足の人、ゆっくり歩く人、後ろからついてくる人、追い抜こうとする人、遠く先を歩き自分の事を待ってくれている人。
色んな人が自分のペースを守りながら一歩一歩歩いています。年齢が6歳の人もいます。40歳の人もいます。60歳、70歳の人もいます。
色んな人が居る中で、自分はどこにいるのかという事を想像してみてください。
自分より年下はすごくないですか?ただ後ろを歩いているだけです。
年上の方がすごいですか?ただ前を歩いているだけです。
スポーツが出来る人がすごいですか?勉強が出来る方がすごいですか?
ただ、「出来る」だけです。
今歩いている場所を「平地」であるとおいた時、そこに優劣はつかないと思います。
一般的な感覚だと山や階段を想像しがちですが、実際は「平地」なのです。
ですので、歩いている場所が違うだけでそこに優劣は存在しません。
イメージが湧きますでしょうか?
では、なぜ人間は優劣を付けたがるのでしょうか。二元対立的なモノの見方をしてしまうのでしょうか。それは「その方が楽」だからです。
物質的なモノの見方をしていれば目的・目標の設定が簡単だからです。上を見ては嫉妬し、下を見ては見下す方が「思考的に楽」だからなんですね。
人間の脳と言うのは「怠け者」です。必要以上の事は考えたくないんですね。
物質的なモノの見方をしていると脳は楽が出来ます。二元対立的な思考はそれ以上の事を考えなくて済みます。