【2018ー1】
野家啓一「歴史を哲学する」
<感想>
やや難。40分。
歴史
=直接観察・知覚不可
=「理論的存在(」理論的構成体)
=「理論的探求」が必要
=発掘・資料批判・年代測定など
=その実在を確証するためには
「物語のネットワーク」が必要
=歴史は「物語り行為」。
例年のような、
現代社会の最先端の問題を
論じる文章でなかったが、
東大現代文にたがわぬ、
素晴らしい文章であったことは
相変わらず。
<(一) 内容説明 やや難>
ポイント:
素粒子の証明の背景に物理学理論
素粒子の痕跡が、
直接知覚出来ない素粒子の存在を
証明しうる背景には、
それに間接的な証拠を与えている、
現代の物理学理論の存在が
不可分にあるということ。
<(二) 内容説明 やや難>
ポイント:
知覚できなくてもれっきとした実在
ある対象が見聞臭触によって
直接的に観察出来ない
理論的存在であるとしても、
それは確かに実在するのであり、
観念的創造物であるわけでは
決してないということ。
<(三) 内容説明 やや難>
ポイント:
フランス革命は物語り的存在
歴史的事件は、
「もの」(具体的事物)ではなく
「こと」(抽象的概念)であり、
知覚的な観察が不可能であるため、
理論的探求手続きが必要な
理論的存在であるということ。
<(四) 理由説明 やや難>
ポイント:
<感想>参照
「歴史的出来事」の存在は、
直接的・知覚的な観察が不可能な
「理論的存在」であるため、
その実在を確証させるためには、
史料批判・年代測定・発掘などの
「理論的探求手続き」としての、
「物語り行為のネットワーク」
が必要とされるから。
【2018ー2】
串田孫一「緑の色鉛筆」
<感想>
難。30分。
いかにも東大文系現代文、
いかにも東大第二問。
世の中は、第一問のように、
なんでもかんでも
「論理」「理性」「合理」だけで
覆いつくせるものばかりではない、
世界は不条理に満ちている。
テーマは
「子供の残酷さに潜む成長」、
「子供と動物の沈黙の会話の重要さ」。
<(一) 内容説明 やや難>
ポイント:
親の介入は子供の成長に時に逆効果
親がお節介を焼かなくても、
子供はおのずから動物の生活に
触れる機会があり得るし、
親が介入することはかえって、
子供と動物の特殊な対話の
邪魔になり得るから。
<(二) 内容説明 やや難>
ポイント:
親の理想論の押しつけ
大人が創った動物物語は、
親の理想やエゴを
都合よく子供に押し付ける、
子供の成長にとっては
かなり用心が必要な、
紋切型の寓話と堕している
可能性があるということ。
<(三) 理由説明 やや難>
ポイント:
嘲う=バカにする・失笑する
蚤を飼い食事を与える少年は、
蚤を愛でる気持ちからどころか、
蚤を実験対象として見る
気持ちからそうしており、
それは動物の愛護精神とは
むしろほど遠いものだから。
<(四) 内容説明 やや難>
ポイント:
子供と動物の沈黙の貴重な会話
大人の真似事ではない、
大人は誰も理解できない、
沈黙のうちに行われる、
時に残酷さも含む、
しかしそれでいて、
子供の成長にとって
かけがえのない契機となるもの。