【2021ー1】
松嶋健「ケアと共同性」
<感想>
東大受験生からすれば
やや易しかったか。
前年度比もやや易化したか。
40分あれば仕上げられたのでは。
前年度に続き「さよなら自己責任」。
「してあげる側/される側」
の単純な二元論を超えた、
「あらゆる関係性を含む動的な関係」
としての「ケアの理論」という、
これまた流石最高学府!
という素晴らしい文章だった。
<(一) 内容説明 標準 >
ポイント:
一元的でない相互的な深いつながり
タイのHIV感染者と
エイズ発症患者による、
一元的ではなく相互的な、
家族によるのではなく
他人同士の自助グループによる、
独自の知や実践を生んだ
濃密な関係性のこと。
<(二) 内容説明 標準>
ポイント:
社会から地域へ、管理から共同へ
イタリアの精神障害者たちは、
当初社会により隔離されていたが、
やがて地域の精神保健サービスにより、
彼らが地域で生きられるべく
集合的に支えられる形へと、
状況が変わったということ。
<(三) 内容説明 やや難>
ポイント:
個人主義が選択の論理の前提
選択の論理とは、
顧客たる患者が、
欲望に従い主体的に選択するという、
孤独で自己責任を伴う
個人主義の論理を
前提としているということ。
<(四) 全体要旨 やや難>
ポイント:
共同的・協働的・
あらゆるものとの関係性
ケアの理論とは、
個人や社会に基盤を置くのではない、
共同性の論理である。
真のケアとは、
ケアをする側/ケアをされる側、
の二元論を超えた、
当人に関係する
あらゆるものを考慮に入れた、
協働的で全方位的で動的な
世界観に基づいたものである。
【2021ー2】
夏目漱石「子規の画」
<感想>
前年度並み、やや難。
しかし文章自体は短いので、
30分程度で仕上げられるか。
漱石と子規の関係性萌え。
(一)は、
漱石なら自分の心情を
理解してくれるはずと
期待する子規の心情まで
解答に盛り込めたか。
(二)は、
熊本の漱石の帰りを待つ
子規の淋しさまで解答に盛り込めたか。
(四)は、
難しい。
「子規が死んでいまだに淋しい、
どうせなら微笑・失笑ではなく、
大笑させてくれるくらい
下手な画だったらなぁ」みたく感じか。
やはり東大の第二問は
6割出来れば上々、高得点は至難。
<(一) 心情説明 やや難>
ポイント:
虚栄心と漱石の寛大さへの期待
画の出来に納得がいかず、
病気さえなければ
もっと上手くやれたとする見栄と、
それを漱石なら
理解してくれるだろうと
期待する気持ち。
<(二) 理由説明 やや難>
ポイント:
画そのものの淋しさと子規の淋しさ
子規の画は、
色は三色のみ、
開いているのは一輪のみ、
蕾は2つだけ、葉も9枚だけ、
周囲も白く表装も寒色。
そこに漱石の帰りを待つ子規の孤独が
重なるように感じられたから。
<(三) 理由説明 標準>
ポイント:
天才の文学と対照的な拙い画
人間としても文学者としても、
「拙さ」とは最も縁遠い子規が、
こと画となると明らかに愚直で拙く、
そこに人間臭さが感じられたから。
<(四) 心情説明 難>
ポイント:
どうせならもっと拙くいっそ笑わせて
子規の画は淋しい画であり、
子規を失った淋しさを拭えない。
どうせなら自分の淋しさを
吹き飛ばしてくれるくらいに、
もっと大胆に拙い画であれば
よかったのにと思う気持ち。