こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
今回は少し心理学寄りのお話になりますが、ベースは人間としての在り方のお話になります。
この「恥」という概念は儒教の教えから来ています。恥をかく事で悪を知り、善に向かわせる内面的な動力であると説き、要は恥をかく事で自分の愚かさを知り、善なる方向へ人を向かわせる、という教えです。
日本にもこの儒教の教えを取り入れました。そしてこの「恥」という概念は根強くあります。戦前戦後まで長きに渡り「家柄」の時代が続いておりましたが、その時代も「お家を汚すな」や「恥を知りなさい」なんて言う教育をされておりました。つまり「恥をかく事は良くない事」という、儒教の教えとは反転した概念が日本人には根付いてしまっています。
本来は「恥をかく事で人は成長をする」という教えであったにもかかわらず、日本人は「恥をかく事が悪い」という何ともネガティブな捉え方をしてしまった様です。
これは個人的な考えですが「恥」という概念が日本にやってきたとき、最初は「そうなのか」と素直に受け入れたと思うんですよね。例えば失敗した時、人から間違いを指摘されたとき「恥ずかしい」と思う。その恥の心が成長をさせると、頭ではわかっているのに心が拒絶する、という事が当時の日本人にも起きていたように思います。
だったらそもそも「恥をかかないように成長すればいいじゃないか」という何とも矛盾した概念を別に持ち出してしまい、結果「恥をかく事は悪い事だ」という少し解釈違いな価値観が広まってしまったのだと、予想します。
前置きが長くなりましたが、今回は「恥をかいてもいい」と言うお話です。
例えば勉強をしていて100点満点を目指すと豪語していたにもかかわらず、実際は70点だった。これは一見恥ずかしいですよね。
または、仕事で「自分の得意分野なので任してください!」と意気揚々と前に出たにもかかわらず、思うようにいかなかった。これも恥ずかしいですよね。
次回に続きます。