【2015年 評論文】
【佐々木敦『未知との遭遇』】
【全体講評】
やや難。25分。
まずタイトルに目を通す。
次に設問にざっと目を通す。
今回の場合、
たとえば「問6」はその都度解いてく。
そして「問5」に目を通すことにより、
「啓蒙」が本文のテーマだと留意し、
読み進めていく。
評論文の場合は、
各設問は基本的にはその都度解く。
しかし根拠に迷うようなら、
深追いせず、いちど保留し、
先を読み進めてから立ち戻る
臨機応変さを持ってほしい。
今回は、
ネット社会と歴史・啓蒙を紐づけて
「ゼロ年代」を論じた、最先端の文章。
【本文要旨】
現在ネット世界は、
「教えて君」と「教えてあげる君」の、
不毛な反知性合戦に堕している。
そのような対話を通じては、
「未知の世界」へ一歩踏み出す
知的好奇心は喚起されない。
また、人類は長い歴史を持ち、
そのアーカイブ(蓄積知)は膨大ゆえ、
現代に於いて
オリジナリティ(唯一無二)を
発揮することは難しいし、
悪気なく「パクって」しまうことも
生じうる(「君の考えたことは
とっくに誰かが考えた」問題)。
しかし「悪意でパクる」者もおり、
聞き手が「価値判断の基準」を
持ち合わせていないため、
それを「意図的な盗作」であると
認識できないことも生じる。
筆者自身は「積極的」に
与(くみ)するつもりはないが、
やはり最低限のリテラシー
(価値判断を行う能力)を
涵養するための啓蒙は必要だ。
また、
「ネット以前」と「ネット以後」で、
「歴史」認識が大きく変容した。
前者は「多様性」に富んだ、
「物語・因果関係・時間軸」の歴史。
後者は「塊=マッス」としての、
「圧縮・編集可能」な歴史。
【設問解説】
<1> やや難
アは⑤、イは⑤、ウは②、
エは④、オは④。
「垂れる」、「懸垂」、
「大概」、「奏上」、がやや難。
<2> やや難
理由説明問題。
「教える君」と「教えてあげる君」の
コミュニケーションが
「不毛」で「既知に閉じて」おり、
筆者の理想である
「好奇心の喚起」「未知への遭遇」と
対極にあることがつかめたか。
①は「無責任な回答」が本文になし。
②は「いたずらに困惑」が本文になし。
④は紛らわしいが、
「両者の共倒れ感」が最も出ており、
「最も適当」なのは③のほう。
⑤は「自己満足」が言い過ぎ。
<3> 標準
いちばん簡単な問題。
人類の歴史は長すぎて、
現代の音楽家にとって、
オリジナル製作は困難を極めるのだ。
①は音楽家にとっての
「オリジナル」とは、必ずしも
「誰もが口ずさめる躍動感
あるメロディー」のみではない。
色んなオリジナルがある。
②が正解。
③は「自作の一部として取り込む」が
本文になし。
④は「不満を抱く」が本文になし。
⑤は「大きな負担」が本文になし。
<4> やや難
ネットの登場により、
歴史は圧縮・編集可能な
ひとつの塊になってしまった。
歴史は、その時間軸や物語性や
因果性から解き放たれ、
多様性を喪失してまった。
①は「類似性」が本文になし。
②は「多様性を尊重」がむしろ逆。
③は「重要度の違いで分類」がなし。
④は正解。
⑤は「時間の流れに即して」が逆。
現代の歴史は、
時間軸から解放されている。
後半の「従来の歴史の捉え方」も逆。
「従来の歴史」は、
「前後関係や因果関係を超えて」
はいかない。
<5> 標準
各選択肢は長いが、
ある程度容易に消去していけるはず。
筆者は「啓蒙」自体には「賛成」、
だが「積極参加はしたくない」立場。
①は「有効な啓蒙の方法を模索」が、
啓蒙参加に消極的立場の筆者と矛盾。
②が正解。
③は「他者を啓蒙する場に留まりたい」
が①と同じく逆。
④も「啓蒙に積極的に関わる」が逆。
⑤「啓蒙の意義を否定」がこれも逆。
<6> やや難
表現の特徴問題は消去法で。
「適当でないもの」を選ぶことに注意。
①「君」は明らかに皮肉なので正しい。
②は正しそうだが、
確証が持てずいったん保留。
③は指示表現を用い、
「なぜかよく似てしまう」
ことを強調してはいるが、
だからと言って
「次段落への接続を滑らかに」
しているワケではない。
ひとつめの正解っぽいが、
確証までは至らずいったん保留。
④は明らかに間違い。
筆者の立場は特に変わっていない。
⑤第2文の主旨は「歴史の多様性」。
第3・第4文とも、
この「歴史の多様性」に対し
「しかし」と言っている。正しい。
⑥8段落1行目に
「そういった『歴史』を圧縮したり」
とあり、圧縮される「歴史」は
「従来の歴史」だから正しい。
⑦はよくある「ある意味では」の用法。
特定のものを指示しておらず正しい。
⑧も①と同様の理由で明らかに正しい。
以上から、④がひとつめの正解。
残、②と③の比較検討だが、
消去法で③がふたつめの正解。
難しい問題。最低1つ正解すれば上々。