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2023.01.30

【日本史コラムー3】古代②

【古代②】

【実権が天皇から貴族へ】

 

【飛鳥時代①】

6世紀~。

この時代の主役・

聖徳太子(厩戸皇子)は、

実在しなかった説もある。

彼の作とされる

「十七条憲法」「冠位十二階」は、

蘇我馬子作との説も。

両者とも天皇中心の

「中央集権国家」建設を目指した。

中国に、小野妹子(♂)をはじめ

多くの留学生が渡り、

先進文化・制度を吸収した。

 

【飛鳥時代②】

蘇我馬子の子孫たちの専横政治を、

中大兄皇子(のちの天智天皇)と

中臣鎌足(のちの藤原氏の租)が

大化改新で撃破。

天智天皇とその弟の天武天皇で、

「律令国家体制」

(=天皇中心の中央集権)が固まる。

すなわち、

①班田収授法(公地公民)

②租庸調制

(米・布・特産物を納める)。

 

【飛鳥時代③】

日本が戦争で敗北したのは2度。

WWⅡと、この時代の白村江の戦い。

中国(唐)と朝鮮(新羅)の

連合軍に大敗、内治優先に舵。

飛鳥時代は、

「日本」という国名、

「天皇」という名称が誕生、

日本の原型が出来た時代。

日本はこの後

貴族時代、武士時代を経て、

明治時代に再び中央集権を目指す。

 

【奈良時代】

710年~。

都は平城京(奈良)。

重税に耐えかねた農民が逃亡、

早くも律令制度が動揺した時代。

墾田永年私財法で初期荘園が発生。

藤原鎌足の子・藤原不比等と

その子孫が権力を掌握。

聖武天皇が鎮護国家思想、

東大寺に大仏を建立。

仏教勢力が台頭、

道教は天皇にまでなろうとした。

 

【平安時代①】

794年~。

桓武天皇が

仏教勢力が多い奈良から京都に遷都、

律令制度の再建を目指す。

そしていよいよ藤原氏が台頭、

いわゆる摂関政治が始まり、

道長・頼道の時代に全盛期。

道長の句

「この世をばわが世とぞ思う望月の

欠けたることもなしと思えば」。

天台宗の最澄、真言宗の空海が台頭。

 

【平安時代②】

藤原氏は外戚(天皇の母方の親戚)

として権力を振るい、荘園を独占

(寄進地系荘園、不輸不入の権)。

しかし頼道の娘と天皇の間に

子どもが生まれず、

藤原氏は終わりの始まり。

東西で武士団が大反乱、

東は平将門、西は藤原純友、

合わせて承平・天慶の乱。

いよいよ武士が台頭し始める。

 

【平安時代③】

藤原氏の弱体化を見て天皇側も反撃、

院政(元天皇が退位後も上皇として

引き続き権力を握る体制)を開始。

武士は上皇に取り入りさらに躍進、

平氏(平清盛)が藤原氏の

摂関政治をまねて栄華を極めるも、

ライバル源氏(源頼朝)に敗れる。

因みに教科書の源頼朝の写真は

本人ではないらしい。

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