【古代②】
【実権が天皇から貴族へ】
【飛鳥時代①】
6世紀~。
この時代の主役・
聖徳太子(厩戸皇子)は、
実在しなかった説もある。
彼の作とされる
「十七条憲法」「冠位十二階」は、
蘇我馬子作との説も。
両者とも天皇中心の
「中央集権国家」建設を目指した。
中国に、小野妹子(♂)をはじめ
多くの留学生が渡り、
先進文化・制度を吸収した。
【飛鳥時代②】
蘇我馬子の子孫たちの専横政治を、
中大兄皇子(のちの天智天皇)と
中臣鎌足(のちの藤原氏の租)が
大化改新で撃破。
天智天皇とその弟の天武天皇で、
「律令国家体制」
(=天皇中心の中央集権)が固まる。
すなわち、
①班田収授法(公地公民)
②租庸調制
(米・布・特産物を納める)。
【飛鳥時代③】
日本が戦争で敗北したのは2度。
WWⅡと、この時代の白村江の戦い。
中国(唐)と朝鮮(新羅)の
連合軍に大敗、内治優先に舵。
飛鳥時代は、
「日本」という国名、
「天皇」という名称が誕生、
日本の原型が出来た時代。
日本はこの後
貴族時代、武士時代を経て、
明治時代に再び中央集権を目指す。
【奈良時代】
710年~。
都は平城京(奈良)。
重税に耐えかねた農民が逃亡、
早くも律令制度が動揺した時代。
墾田永年私財法で初期荘園が発生。
藤原鎌足の子・藤原不比等と
その子孫が権力を掌握。
聖武天皇が鎮護国家思想、
東大寺に大仏を建立。
仏教勢力が台頭、
道教は天皇にまでなろうとした。
【平安時代①】
794年~。
桓武天皇が
仏教勢力が多い奈良から京都に遷都、
律令制度の再建を目指す。
そしていよいよ藤原氏が台頭、
いわゆる摂関政治が始まり、
道長・頼道の時代に全盛期。
道長の句
「この世をばわが世とぞ思う望月の
欠けたることもなしと思えば」。
天台宗の最澄、真言宗の空海が台頭。
【平安時代②】
藤原氏は外戚(天皇の母方の親戚)
として権力を振るい、荘園を独占
(寄進地系荘園、不輸不入の権)。
しかし頼道の娘と天皇の間に
子どもが生まれず、
藤原氏は終わりの始まり。
東西で武士団が大反乱、
東は平将門、西は藤原純友、
合わせて承平・天慶の乱。
いよいよ武士が台頭し始める。
【平安時代③】
藤原氏の弱体化を見て天皇側も反撃、
院政(元天皇が退位後も上皇として
引き続き権力を握る体制)を開始。
武士は上皇に取り入りさらに躍進、
平氏(平清盛)が藤原氏の
摂関政治をまねて栄華を極めるも、
ライバル源氏(源頼朝)に敗れる。
因みに教科書の源頼朝の写真は
本人ではないらしい。