あけましておめでとうございます。個別指導WAM西取石校です。
2023年、令和5年がスタートしました。今年の干支は「癸卯(キボウ・みずのとう)」です。
「癸」は十干の最後であり、生命の終わりとともに、次の新たな生命が成長し始めている状態を意味しています。「卯」は十二支の4番目にあたり、うさぎのイメージから安全、温和の意味があり、うさぎのように跳ね上がる=「躍進」も意味しています。よって、「癸卯」の年は、これまでの努力が実を結び、より成長し、躍進する年であるといえます。頑張れ、受験生。
さて、長々と話してまいりました「干支」についての最終回です。
古代中国で誕生した十干・十二支は、奈良時代にはしっかり日本に定着し、日本の文化や風習と深い関わりがあるものとなっています。今回は、日本の文化・伝統をより深く知ってもらうという意味で、「干支」にまつわるetc…(エトセトラ)ついて、紹介いたします。
〈干支で表記される事件や出来事〉
干支表記で有名なものを古い順から並べてみると、
①壬申(じんしん)の乱
天智天皇の死後、長子の大友皇子を擁する近江朝廷に対し、皇弟の大海人皇子(天武天皇)が672年(壬申の年)の夏に起こした内乱。1ヶ月の激戦の末、大海人の勝利。
②戊辰(ぼしん)戦争
1868年(慶応4・明治1・戊辰の年)から翌年まで行われた新政府軍と旧幕府側との戦いの総称。新政府軍の勝利。これにより、旧幕府体制は根底から崩壊した。
③辛亥(しんがい)革命
1911年(辛亥の年)に武昌に挙兵し、清朝を倒した中国の民主主義革命。12年1月孫文が臨時大統領に就任して共和制を宣言、中華民国が誕生した。
④甲子(こうし)園球場
西宮市にある野球場。阪神電気鉄道により地域開発の一環として、1924年(大正13・甲子の年)8月1日に甲子園大運動場として竣工した。1964年阪神甲子園球場に名称変更。
〈十二支にまつわる行事〉
十二支で日付を表していた名残で、今ではすっかり忘れられたものとしては、「申(さる)の日」は「去る」に通じるため、結婚式を行わないというものがあります。今、現在も行われている行事としては、次のものがあります。
①戌(いぬ)の日
犬はお産が軽いとされることから、安産祈願をこの日に行います。中山寺に腹帯をこの日にもらいに行くという習慣が今もあります。
②上巳(じょうし、じょうみ)の節句(3月3日)
「上巳」は上旬の巳(み)の日の意味であり、元々は3月上旬の巳の日に行われる行事でしたが、三国時代の「魏」の国が3月3日に行うようにしたことから、日本でもこの日に行われるようになりました。なお、「節句」とは「季節の節目となる日」のことであり、この日には仕事を休み、特別の食べ物を用意し、お祝い事として行事を楽しむという習慣があります。江戸幕府が「人日(じんじつ)1月7日」・「上巳(じょうし)3月3日」・「端午(たんご)5月5日」・「七夕(ひちせき)7月7日」・「重陽(ちょうよう)9月9日」を公式な祝日として制定して以来、「五節句」を祝う習慣が現代にも受け継がれています。
③端午(たんご)の節句(5月5日)
牛の月が5月にあたり、5月最初の牛の日を節句として祝っていたものが、後に5が重なる5月5日が「端午の節句」の日となりました。「午」と「五」が同じ発音であったからです。
なお、上巳の節句も端午の節句も元々は男女の別なく行われる行事でしたが、江戸時代の頃に、雛人形を飾る雛祭りが女子に属するものとなりました。そして、端午の節句に「菖蒲」を薬草として厄除けに用いたことで、「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであること、また菖蒲の葉が剣を連想させることなどから、端午の節句が男子の節句となりました。
〈干支に係わる俗信・迷信〉
①還暦
以前にも記しましたが、数え年の61歳は生まれた年の干支に戻るので、「暦が還った」という意味で「還暦」のお祝いをします。もう一度、「赤ちゃん」に戻って「生まれ直す」という意味合いをこめて、赤い頭巾や赤いちゃんちゃんこを贈る習慣があります。
②丙午(ひのえうま)
丙も午もともに「火」の性格を持っているため、中国ではその年は火災が多いとされていました。この伝承が日本にも伝わり、そして、歌舞伎や浄瑠璃で有名な「八百屋お七」(1682年[天和2年]に江戸の大火から避難した際に、火消しの男性に恋をし、再会を果たすために放火事件を起こし、火刑に処された女性)が丙午生まれだとされ、日本においては、「丙午生まれの女性は気性が激しく、夫を不幸にする」という迷信が生まれました。
1906年(明治39年 丙午)生まれの女性が「自分は丙午生まれなので結婚できない」と将来を悲観して自殺する事件が相次いだそうですし、その60年後の1966年(昭和41年 丙午)には出生率が4.9%減少するという事態を生んでいます。
「干支」について長々と話してきました。「干支」は日本の文化・伝統と深い関わりを持つものですが、悪しき迷信「丙午」からは脱却していることを切に願います。次の丙午は、3年後、2026年です。