こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
何を言いたいかと申しますと「自分の思い通りにはいかない」事がこの世の中にはあふれているという事です。人間関係に限らず、自分事においても同様です。
学生の場合、思う様に成績が上がらない、他人と比較して自分はどうしようもない人間だと思う、部活でも思うような結果を出せない。社会人の場合、仕事にやりがいを持てない、思うような成果を上げられない、上司から認めてもらえない、等。
そんな中、成果を上げている人を見ては羨望の眼差しで見てしまったり、勉強が出来る友人を見ては自己嫌悪に陥ってしまったり。人間とはそういうものです。
ちなみに、トップの成績を納める友人も会社で成果を上げている同僚も、それ以上の人と比較されているのです。
人間は完璧ではありません。何故かと言うと「そういう風に出来ている」からです。
例えば、学校のテストがあったとして、100%の勉強をしたとしますよね。ところが結果は70%~80%しか達成できないのが「普通」です。しかし、目指すべき場所は「100%の場所」である必要があります。
残りの20%は失敗なのかと言うと、そうではありません。「出来ないことがわかった」という事です。つまり、人生において「失敗」はありえないという事です。出来ない事がわかった、じゃあ次はどうしよう。とういう思考になる事が出来るのが人間です。
ところが、他人と比較したり評価されたりする中で、出来ない事がわかったでOKにもかかわらず「失敗した」と嫌な烙印を押したり押されたりします。
そうすると「完璧に出来ない自分には価値がない」と思ってしまい、益々他人と比較したり自分を責めたり、所謂自己肯定感が低い状態になってしまうんですね。そのような状態で起きた事柄を評価するから「失敗」の烙印を自ら押してしまうという事です。
よく「私は完璧主義者だ」という人が居ますが、それは人間の性質に相反した主義であると言えます。本来は「非完璧主義者」が正しいのです。
その理由は前述しました通り、「人間は完璧に出来ていない」からですね。その事を受け入れ、他人にも強要しない生き方が正しい生き方と言えます。
蓮の修行の話に戻ります。人間は基本的に「怠け者」です。放っておくと怠け心が顔を出し、「めんどくさい」「後回しにしたい」という気持ちが浮かんでくるのです。それが普通です。
ですので、怠けものだと思っている方は自分を責める必要はありません。それが「普通」だからです。
ところが「普通」に甘んじない生き方というものがあります。それが「蓮の花の修行」です。
次回に続きます。