こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
つまり、この地球を選んで生まれた我々は「ゲームを楽しみにきた」といえます。
こんな話を見聞きした方もいらっしゃるかもしれませんが、深い話をすると上記のような話になります。
だからと言って「思い悩むのは辞めましょう」とか「ゲームのように楽しむべきだ」とは申しません。人間は悩み、思考し、成長する生き物だからです。
しかし、視点を変えてみましょう。人生はゲームであると捉えた時、ほんの少しワクワクしませんか?
大金持ちになって食べたい時に食べ遊びたい時に遊ぶ。どこに行っても何をしてもフリーパス。周りの人間すべてが自分に首を垂れ、好き放題できる生活を想像してください。恐らく1年で飽きると思います。あとは虚しい生涯を老いていく肉体と共に過ごすだけの人生です。
そう思うと、苦難や困難、辛いことや悲しいことも「ゲームを楽しむための制限だ」という視点が見つかると思います。もちろん人間は感情の動物でもありますから、いくら楽観的な思考を身につけても、楽しむまでの事は出来ないと思います。
しかし「ゲーム感覚の視点」を持つ。そしてふとした時に思い出すことで、心がフッと軽くなる。そのような瞬間がほんの少しでもあれば素晴らしい事だと私は思うのです。
子供はゲームが大好きです。ゲームとは「楽しめる」ようにデザインがされていますから、かくも楽しいのは当たり前です。ところが頭ごなしにゲームを否定し、取り上げる親が居るとします。子供がもしゲームを通じて成長しているとしたらいかがでしょう。ゲーム感覚で仕事を楽しむ視点を持つ事が出来ます。人生をゲーム感覚で遊ぶように謳歌出来たらどうでしょう。その子にとって全ての制限、苦難、辛いことがもしかするとゲームを楽しむためのスパイスとして捉えられるようになるかもしれませんね。
この発想はポジティブすぎるかもしれませんが、近い将来、発想の一つとして日の目を見る事だろうと私は思っています。
今回書き進めていて、正直このような結末の話を実は予想していませんでした。
しかし、こういう話をしたかったのだと思います。
知識とはあればあるだけいいものです。使う使わないは本人の自由ですから。
全然参考にならなかったかもしれませんが、一種の読み物として楽しんでいただけたら幸いです。ブログとは本来そう言うモノですからね。
ありがとうございました。