こんにちは。個別指導WAM堺市駅前校です。
昔の話ですが1993年10月28日、私は自宅で家族4人とテレビを見ながらサッカー日本代表を応援してました。
「勝てばワールドカップ出場だよね!初出場なんだよね?」と、私は母親に確認しました。
「そうよ!初めてワールドカップにいけるのよ!」と、母親も嬉しそうに応えました。
この日はカタールでワールドカップアメリカ大会のアジア地区の最終予選に日本代表は挑んでました。
日本代表はリーグ首位で最終戦を迎えていました。勝てばワールドカップ本大会に出場できます。対戦相手はイラク代表。
私はこのころ中学3年生で、当時はサッカー部に所属していてサッカーが大好きでサッカーを生きがいにしていました。
Jリーグも開幕してまだ間もないころで、サッカー人気は今以上でした。もちろん、私はサッカーを観戦する事も大好きでした。特に日本代表戦は格別な思いで見ていました。
ただ、当時の日本代表は、いまだかつてワールドカップに出場した事がありませんでした。
日本のサッカーをする人の目標や夢はワールドカップの舞台に立つ事でした。当時中学生の私も同じような気持ちで日本代表戦を見ていました。
『勝てばワールドカップに出場!!ラモス!カズ!中山!森保!柱谷!頑張れ』と心の中で叫びながらテレビにかじりついていました。
後半の45分を過ぎた時点でも2対1で日本代表はリードしていました。『よし!勝てる!ワールドカップ出場できる』と私は確信していました。
しかし、試合終了直前にイラク代表のコーナーキック(ショートコーナー)からの綺麗な弧を描いたセンタリングにドンピシャのヘディングで鮮やかな同点弾を決められてしまいました。
『え??』『うそでしょ!!』『時間ないし・・・。』家族全員の顔面は蒼白になり言葉が続きませんでした。
選手たちはその場で頭を抱え込み、絶望の表情を浮かべる選手もいました。
そのまま試合は終了してしまい、日本代表は得失点差で3位に転落。本大会への出場権を逃す結果となりました。
同点弾を決められた時の事は今でも鮮明に覚えています。
本当に悲しくて、一般人の私ですら目の前の光景を信じる事ができませんでした。
選手達はグラウンドに崩れ落ちていました。
ラモスはグラウンドに座り込み、ただ呆然と『かみさま』とつぶやいていました。その姿は今でも忘れられません。
私の憧れの選手達の夢はワールドカップ出場でした。夢を目前にしながらも、掴む事のできなかったワールドカップ本大会への切符。日本代表を応援していた人であれば誰しも大きなショックを受けた出来事でした。
あれから29年。同じカタールでは、日本代表の選手達が素晴らし戦いをしてくれました。あの時の悔しい思いを晴らしてくれたような気がします。
森保監督は、当時は日本代表選手。今回のワールドカップは同じカタールで29年越しであの悔しさを晴らしてくれたのだと思います。
今は、私もサッカーを見る事は殆どありません。
でもなぜでしょうか。日本代表戦になるととても心が熱くなります。
また、次回のワールドカップを楽しみに4年間を過ごしたいと思います。
日本代表!ありがとうございました。