【まずはやってみればいい-終】
こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
友達から「勉強した?」と聞かれたら「やった」と自信満々に答えてください。
そこで「やってない」と言ってしまうのは、心に「罪悪感」「自信喪失感」があるからです。
もし、その感覚を感じるのであれば「量が足りていない」という事ですから、自分が満足できるまでやってみましょう。(そのハードルも限りなく低くてOKです)
そもそも「勉強をやる」事の提議ってありませんよね?何時間座って何問解いたらやったとか、そういうことは全て自分で決めていいという事です。自分が満足する量、何なら自慢したくなる料というのも全て人それぞれです。他人と比較したり、一般論を参考にせず、自分で決めましょう。その中でやがて自分にとっての「必要な勉強量」が見えてきます。それを見えるようになるためには「まずはやってみる」という事が大切です。
松下幸之助さんのお話で、成功した理由をインタビューで聞かれた際「成功した理由は3つしか考えられない。一つは家が貧しかったこと。二つは学歴が無かったこと。三つは身体が弱かったこと」一見すると、「このせいで失敗した」と言いたくなるような理由に見えます。
ところが、家が貧しかったからビジネスに興味を持てた。学歴がないからたくさん本を読んで人一倍勉強した。身体が弱かったから人を育てることに注力した。
そういう事です。やらない理由は自分を正当化する理由にすぎません。
これが絶対正しいとは申しません。しかし松下幸之助さんのような発想力、思考力は取り入れてみる価値は十分あると思います。
人間とは、傷つきたくありません。イヤな想いをしたくありません。だから脳が先回りして傷つかない方法を探します。それが「めんどくさい」という感情であったり、時間や環境に責任転嫁をし、やらなくてもいい理由探しをします。
それが人間という性質であり、そのように出来ています。何故なら「自己防衛本能」だからです。
言わば勉強とは「本能に逆らっている」と言えます。ところが勉強をして得るものがたくさんあるのも脳は理解しています。
そんな矛盾の中でも勉強を通して得るものがあるから人は勉強をするという事です。
小石のお話を過去に投稿いたしましたが、小石拾いをしている時というのはやりがいや成長が目に見えませんから、達成感を得られないのです。ところが小石がダイヤモンドに変わった時、人は「やっててよかった」と思うのです。そして「もっとやっておけばよかった」と思うんですね。
この様な二元対立、矛盾した世界に我々は生きています。それに抗う事は出来ません。だったら受け入れてやるしかないんです。
やるという「覚悟」です。覚悟が出来ればあとは簡単です。手足の届くところから始めましょう。
ありがとうございました。