みなさんこんにちは。WAM岩出校からです。
さて、去年度から中学、今年度から高校の教科書改訂があり「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」「主体的に学習に取り組む態度」の3要素が重要視されるようになりました。
特にこの中の「思考力・判断力・表現力等」については
問題発見・解決に必要な情報を収集・蓄積するとともに、既存の知識に加え、必要となる新たな知識・技能を獲得し、知識・技能を適切に組み合わせて、それらを活用しながら問題を解決していくために必要となる思考。
必要な情報を選択し、解決の方向性や方法を比較・選択し、結論を決定していくために必要な判断や意思決定。
伝える相手や状況に応じた表現。(文科省のHPより引用)
こういったことができるようにしていくことが目標となっています。
が、この3年間の騒動で大人が全くその姿勢を示せていないように感じます。
特に槍玉にあげられるマスク関連でその傾向が顕著です。
マスクのそもそもの役割は保湿効果(ウイルスは低湿度を好むため予防になる)と、咳やくしゃみによる飛沫の拡散を防ぐという2点です。マスクの網目は当然ウイルスの何十倍の大きさなので、現在の日本のように無症状の人間が他人に感染させないためにつける、そして施設や公共交通機関などが着用の要請をしている状況にまず疑問がわきます。
また、仮に感染症対策に効果があるとして正しいマスクの着用、使用ができているかについても考えます。
・着用する際にはしっかり手洗いをして清潔な手で着用すること
・隙間なく密着させること
・人が多いところに行った場合は交換する
・使用後はひも以外には触れず、袋に入れて捨てる、もしくは蓋つきのごみ箱に捨てる
他人にマスク着用を要請する個人や施設の管理者はこのあたりを守れているのでしょうか。飲食店などで食べ終わったあとにそのままマスクをつける人はよく見かけますし、道端にマスクが捨てられているのもよく見ます。非常にちぐはぐ感があります。
感染症の予防、拡大防止に役立つ場面で正しく着用することについて異論はありませんし、マスクを着けたい人に外せというつもりもありませんが、そもそもコロナウイルスは飛沫感染ではなく空気感染だとわかっているので「感染予防のためのマスク」の時点で論理が破綻しています。
また施設等の着用願いはとにかく一律着用で聴覚障碍者の方々に対する配慮は目にした記憶がありません。自分にとってマスクをすることは当たり前で何の不都合がないから全員着用するのが当然でしょ?という感じなのでしょうか。配慮配慮というのであればマスクをしない人できない人に対する配慮もあって然るべきではないでしょうか。
考える力というものの大事さを痛感する今日この頃です。
本日は以上です。