こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
ところが、その子供は自分には出来ない、合わないことが「直観」で理解したのです。
好きなはずの野球の練習が苦痛で辛いと感じ始めたのです。本当なら本人も続けたいのでしょうが、難しいと思ったんですね。
周りの大人はこういってあげましょう「本当にそれで後悔しない?」「もしまだ心に引っ掛かりがあるなら続けなよ?」「それでも辛くて苦しいなら辞めればいいよ」と。
つまり「本人の人生」なのです。人間は生まれる前に今世で何をするのか決めてきています。
人間は10万回生まれ変わりますから、今回たった1回くらい途中で諦めてもいいのです。
諦めた後、何かを学ぶかもしれません。そして、野球をしているときの恩師やメンバーと今後一生の付き合いをするかもしれません。それも全て彼の人生なのです。
先日、テレビでとんでもない特集を見たのですが、お母さんがダンスが好きで、ダンスチームに入っているんですね。そのお母さんは「子供に頑張っている姿を見せてあげたい」なんてことを言っていました。それって「好きな事」をやっているんですよね?と。そんなのを見せられて「僕もお母さんのように頑張ろう」なんて思うでしょうか?好きな事は好きな事です。それを恩着せがましく言うのは、変わった人だなあと思いました。
話を戻しますが、子供が諦めようとしたとき状況で子供にああしなさい、こうしなさいと言いたくなる人っていると思います。そのような親は、「いい親でいなければならない」と思っています。また「途中で諦めるような子供を育てた私はダメな親だ」と思ってしまっています。そんなこと思わなくていいのです。親の人生を子供の人生に重ねるのは良くありません。
そして子供とは、直観で生きる方がいいのです。その直感は数年先の人生に繋がっています。
みなさんも「あのときこうしておけばよかった」なんて記憶はありませんか?
例えば「もっと勉強しておけばよかった」や「もっと違う大学に入っておけばこんな人生にならなかった」なんて言う思いは誰しもがあります。
しかし、よく思い出してほしいのですがその時恐らく「直観」以外の何かしらに依存していたのではないでしょうか。例えば「勉強はめんどくさい」や「このくらいの大学で良いか」など、つまり妥協をしたり自分で自分の価値を下げるような行動をしませんでしたか?
もし直観に従って行動していたら。たくさん勉強をしたくなったかもしれません。大学選びも慎重に、本当に自分が行きたい大学に進学したかもしれません。
次回に続きます。