こんにちは。
個別指導WAM塾長の尾崎です。
本日は、イラストを描くAIについてのブログです。
ぜひ読んでみて下さい♪
最近、イラストを描くAIが誕生した。打ち込まれたキーワードをもとにインターネット上にあるイラストを学習し、似たようなイラストを出力するものだ。この技術に対して、一部では「絵心のない人間でも自分好みのイラストが出力できる」と称賛の声が上がっているが、一部では「イラストレーターの仕事を奪う」「機械の書いたイラストでは感動できない」という声も上がっている。確かに、文字をポチポチと入力するだけの作業で絵が出来上がるのと、線画から初めてコントラストだの色彩だのに気を使って絵を描くのには情熱の差がありそうである。しかし、「情熱」というものは本当に人を感動させるものなのだろうか?
夏の甲子園、球児たちの熱いぶつかり合いの友情物語。大事な人や世界を守るために巨悪に立ち向かう冒険物語。気になるあの子の気を引きたくて悶々とする恋愛物語。情熱が人を感動させるパターンは確かにある。しかし、情熱によって出来上がった成果だけを見るとどうだろうか。「夏の甲子園で、仙台育英が優勝しました」という情報。「太平洋戦争で日本は負けました」という教科書の一行。「両親の恋愛の末、私が生まれました」という自分の存在。これらに一々感動したりするだろうか。もちろん感動する人もいるだろう。しかし感動しない人間のほうが、どうやら多そうだ。数学なんかがその最たる例である。あそこまで先人が情熱を注ぎ、努力をして築き上げた学問なのに、ほとんどの学生は数学に感動するどころか嫌悪している。ピュタゴラスに毒づく学生も見たことがある。そんな風に、情熱というものは必ずしも人間に感動を与えるとは限らない。
一方、情熱がないのに人を感動させるものもある。それは自然だ。雨上がりの虹を、夕焼け空にはばたくカラスを、クリスマスにほろほろと降る雪を見て感動したことはないだろうか。これらはもちろん自然現象であり、そこに何の情熱も意思も入っていない。にもかかわらず、私たちは雄大な自然を見て感動を覚えることがある。何に感動するかにおいて、情熱というものはあまり関係ないのだ。「一人の死は悲劇だが、一万人の死はただの数字だ」とはよく言ったものだ。
人間は自分勝手なもので、自分が認めたくない人の粗を探す。そんな相手を「感動させよう」といって情熱を注いだって何にもならない。ならば、自分の創作意欲の赴くままに、好奇心を満たすために、他人のことなど気にせず自分に対して情熱を注げばいいのだ。地動説を唱えたガリレオのように、批判を恐れずに、自分のために行動しよう。そんなことでは、好奇心は止められないのだから。そうして自分のために作り上げた作品に、一人でも感動してくれる人がいるならば、それはとても幸福な事ではないだろうか。
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