こんにちは、個別指導WAM西取石校です。
先日ありました2学期中間テストで、ある中学校の国語において「十二支」による方位と時刻の問題が出題されました。塾生諸君は、まず「ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い」の順番を覚え、その後「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の漢字を覚え、そして、円を十二等分して、十二支を配置し、方位と時刻を確認していました。
その時、塾生に話した豆知識。
「艮(うしとら)の方角である北東は、古来より忌むべき方角=『鬼門』とされ、鬼が住むと思われていました。だから、鬼は牛の角が生え、虎のパンツをはいているのです。そして、桃太郎が鬼を退治するために連れて行った家来が猿・鳥・犬であったのは、北東と対局の方角に位置する動物であったからです。」
で、その時に塾生から「どうして動物であらわすの?」という素朴な疑問があり、少し調べてみましたので、今回はそのことについてお話しします。
「私の干支(えと)は、寅です。」というように、干支=十二支ととらえがちですが、正確には「干支」とは、十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)を組み合わせたものを指します。
「十干」とは、古代中国で、紀元前14世紀頃からすでに用いられていたとされる、暦のための10種類の漢字「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」です。音読みすると、「こう・おつ・へい・てい・ぼ・き・こう・しん・じん・き」となります。
この10種類の漢字で、日を表していたので、西洋では7日を1つの単位として1週間とし、4週間で1ヶ月としたのに対し、東洋では10日を1つの単位=「旬」とし、3旬で1ヶ月とします。現在でも、10月上旬、中旬、下旬といっているのが、それです。
そして、この「十干」が春秋戦国時代(前770~前221)に自然や世界の成り立ちを「木・火・土・金・水」から説明する「五行思想」と結びつけられて変化していくのですが、そのことにつきましては、後ほどに。
一方、「十二支」も中国の殷の時代(紀元前1400年頃)に生まれたといわれています。約12年をかけて空を一周する木星の軌道を12にわけたもので、「年」を数えるのに使われました。それまでは帝王の即位年を基準としたりしていたらしいです。そして、1年が12ヶ月であることから、月を数えることにも「十二支」が使われるようになり、さらに時刻や方位も十二支で表すようになり、それが日本に渡ってきました。
さて、では、なぜ動物名なのかというと、それは完全な後付けです。本来の「十二支」は「子(シ)・丑(チュウ)・寅(イン)・卯(ボウ)・辰(シン)・巳(シ)・午(ゴ)・未(ビ)・申(シン)・酉(ユウ)・戌(ジュツ)・亥(ガイ)」と読みます。それが庶民にもわかりやすいようにと、後になって動物が割り当てられたというのが真相です。もちろん後付けで選ばれた動物たちですが、例えば、ねずみは繁殖力が強いことから子孫繁栄や財力の象徴とされるなど、それぞれの動物には縁起がいいとされる意味を持っていました。神様が「元日の朝、私の元に1番目から12番目までに来た者を順に1年交代でその年の大将にする」というお話は、「十二支」が生まれて、ずっとずっと後になって作られたものです。
以上、「十干」「十二支」の成立状況のお話でした。この「十干」「十二支」がどう変化し、現在の日本でどのように用いられているか、また「干支」に関するうんちくにつきましては、また、次回に。