こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
もし、生存に必要なすべての事に対して「意思」を持たなければいけないとしたらどうでしょう。
「油断したら心臓が止まる」とビクビクしなければなりません。「気が付いたら呼吸が止まって意識が飛びそうになった」という事が頻繁に起きるという事です。
普段「当たり前」だと思っている事や出来事に対して人は「慣れ」の意識を持ってしまいます。慣れとは、人が生存する上で必要な機能ですが、よく考えてみてください。
何にでも「奇跡」であると評価し感動し、生きる人生というのはかくも素晴らしいと思いませんか?「どうせ〇〇だから」「他の人も同じだし」なんて思考を繰り返していたのでは「奇跡」を特別視するしかありません。
また、何にでも「奇跡」だと評価するとありがたみがないと思われがちですが、そうではありません。そもそも、ありがたみが「あると思うもの」と「ないと思うもの」の2パターンが存在するという発想がおかしいのです。
嬉しいこと・楽しいこと・ワクワクすること、その全てに「ありがたみ」を感じてください。
また、一見ネガティブな出来事に対しても「ありがたみ」を感じる事が出来ます。
それは「こうありたいと思う出来事に出会った」という事です。ですので、全ての事柄に感謝することは間違いなくできます。
朝目が覚めた、今日もご飯が美味しい、これは「奇跡」なんだと思う「意思」を持つこと。引いてはこれが「幸せの道」であると思っています。
あなたが「奇跡」だと「思えば」「奇跡」になるといいことです。そしてそのための行動をしましょう。地球は行動の星です。「妄想だけ」では何も現実は動きません。
こうなったらいいな、ああなったらいいな、と思うのは結構です。しかし、そのための行動をしないと現実は動きません。
この話はまたの機会にしたいと思います。
あなたの身近な人、モノ、出来事、「当たり前」だなんて思わないでくださいね。「奇跡なんだ」と思ってみましょう。すると「感謝の念」が湧いてきます。
ありがとうございました