皆様こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方にお届けできることを願い投稿させていただきます。
前回の続きです。
つまり、「自分も子供も助かる方法」の話です。自己犠牲を美徳として子供だけ助かればいいというのは「我」が強すぎます。「自分勝手」であるということですね。
話を戻しますが、この「ろうそくのような生き方」をあたかも美徳であり、自己犠牲こそが正しい価値観であると、信じ込んでしまっている人が多くいます。
それは先祖代々その価値観が根強くあり、受け継いできたということです。どこかのタイミングで「この価値観は見直した方がいい」と気付いた人が居ればよかったのですが、なかなかそうもうまくいきません。
そして「ろうそくのような生き方」をすることで自分にとって「メリットがある」と思っている人もいます。
例えば、自己犠牲をして相手や周りを助ける。それこそが「私が生きている価値」に直結してしまっている人たちです。
この自己犠牲が生存価値に直結してしまっている思考こそが一番危ないとされています。
つまり、「自分を大切にすること=生きている価値がない」と思っていますから、「生存本能に従う=自己犠牲」の方程式が成り立ってしまうんですね。
そういった方の心を救い出すというのは並大抵の事ではありません。まずは本人が「このままではいけない」と気付くことから始めないといけません。しかし、気付いたところで何十年も自己犠牲をして生きてきた方というのは、「自分を大切にする方法」を知らないからなんですね。
自己犠牲が正しい、美徳であるという考え方はキリスト教をはじめ様々な宗教に取り入れられています。本来は「自分も相手も気分がいい考え方」を目指すべきなのですが、人は多くの意見や考え方こそが「正しい」と思ってしまいがちです。しかし、本質とはその遥か反対側にあります。
よく考えてみてください。自己犠牲をしている人に対して応援するということはどういうことでしょう。「もっと自分を犠牲にして!頑張れ!もっと相手を優先して!」って言いますか?よく考えたら可哀そう過ぎませんかね?「もっと自分を大切にして!あなたが抱えるべき問題じゃないのよ!」って言ってあげるのが健全ではないでしょうか。
自己犠牲することを自分の価値を図る物差しになっている場合はもっと深刻です。
そういった場合「あなたは無条件で生きていていいし、価値があるのよ」と言い続けてあげることです。
ろうそくのような生き方はやめましょう。あなたも相手も辛いです。
あなたも相手も救われる方法は必ずあります。
ありがとうございました。